石油ファンヒーターの利点。

「ガスファンヒーター、買おうと思ってるねんけど」

知り合いの方が僕にそう言う。なんでも毎年、冬を越すのにエアコンと電気カーペットと炬燵ですごしており、電気代が高くなると困ってたので、お勧めしていたのだ。

「いやでも確か前に、石油とかガスとか使うのは怖いって、言ってませんでしたっけ?」

「ガスはええかなって」

「ガスはええんですか」

「石油は臭いから嫌」

「回答になってませんけど・・・」

「ガスやけど、爆発せぇへんやんな? バーンって」

「知りませんよ。ガス屋に相談して下さい。でも、エアコンと違う燃料系ファンヒーターの利点は・・・」

ガスや石油は燃えると、二酸化炭素と水を発生させる。そのおかげで加湿効果も見込める。加湿されているとほのかに暖かく感じる。

ただ、石油ファンヒーターは灯油の補充が必要だ。買いに行くのも、補充するのも面倒だ。タンクは結構重いし、お年寄りなどには持ち運びが大変。

「・・・ガスはその点、楽ですからね。ホースで元栓に繋ぐだけで、延々と燃料が補給される」

「そう。それで何買ってええか分からへんから、ええの教えてくれへん?」

「分かりました。父親の体が動かしにくくなったので、うちもガスファンヒーターにしようと考えてたところです」

* * *

我が家の暖房は、灯油歴が長い。

ずっと石油ストーブの上にやかんをのせていた。母は、おでんを仕込んだらずっとその上に乗せていた。家じゅうがおでん臭くなっていたものだったが、確かに効率は良い。

石油ファンヒーターは、おそらく出始めの頃から使っている。学校へ行ってた頃は、着替える服が冷たくて、ファンヒーターから出てくる温風を服の中に入れてから着ていた。朝のファンヒーター前は、兄弟で陣取り合戦であった。

当時、灯油は酒屋さんの配達で調達していたと思う。

それがなくなってからは、両親は町に軽トラックで配達しにくる灯油訪問販売業者から買っていた。

僕は大音量で騒々しく巡回する彼らをあまり快く思っていなかったので、車で出かけるついでがあれば、灯油缶を搭載しつつガソリンスタンドに買いに行ってあげていた。

 

父が脳梗塞で入院し、身体が動かしにくくなった。

今まで父は、灯油訪問販売業者から毎週灯油缶二つ分を購入し、ストーブとファンヒーターで暖を取っていた。

だがもう、玄関先まで灯油缶二つを持っていき、重い灯油缶を家まで持って入るのは難儀だろう。

何より、片方の手足が動かしにくい状況では、灯油をタンクに入れるという一連の動作の中で、こぼしてしまう可能性が高い。面倒くさくなって、暖を取ることをしなくなってしまっては、元も子もない。

一気に寒くなった時期、父の脳の細い血管は詰まってしまった。暖かい時期には大丈夫だった。身内にこのような事が起こってしまっては、人間にとって「寒さ」は身体に大きなストレスを与えているのだと実感せざるを得ない。

実家は昭和の古い造りなので、キッチンにも和室にもガス管が通っている。ホースをカチッと差し込めるタイプのものだ。そこでガスファンヒーターを使うことができるだろう。

色々と見ていると、値段もそれなり。どの機器を買っても大差はなさそうだった。奈良の山奥は高いプロパンガス一択だけど、実家は都市ガスだから、値段も灯油とそれほど変わらないはずである。

独居老人の独自判断ほど、やっかいなことはない。

 

父が倒れ、国外単身赴任中の兄は、一時帰国してきた。

長男として、介護の責任と重圧を感じ、病院に見舞いに来ている。兄と一緒に、今後の父の生活をどうするかという事で、話し合っている。

その横で父はベッドに横たわって、大相撲の中継を見てのんびりしている。

好き嫌いの多い父は、人の忠告も聞かないで、自分の好きな物ばかりを長年食べてきた。それもインスタント食品ばかり。医師にはその事をとがめられてきたが、改善しようと努力するかと言えば全くしない。好き勝手生きて病に倒れたのはこれで二回目だ。周囲に面倒をかければ、再度倒れないよう気に掛けるべきなのに、その努力より自分の欲求を優先する。そのくせ倒れたら、俺はもうだめだと悲観する。

ダメ人間の典型である。

僕は、帰国してまで面倒を見る必要はない、と兄に言った。だが、兄はそういう訳にはいかないと言う。

僕はと言えば、「てめぇの長年の不摂生で勝手に倒れて、真面目に働いている兄きに多大な迷惑かけてるんだから、よく身に染みて謝っとかないと俺が許さないからな」と病床の父を脅した。

兄は僕と違って「優しい人」なのだ。

僕は、自分勝手な人間が、当然のように「優しい人」の恩恵を被り、無自覚でいることが我慢ならない性格なのだ。

「ありがとう」を言わない人間は、無自覚だ。自覚があるなら、もっとたちが悪い。

* * *

夕刻。

仕事終わり、誰もいなくなった実家に帰る。

灯油訪問販売業者の車が、著作権を無視したテーマソングで巡回している。

車と家を往復し、荷物を積み込んでいると、灯油訪問販売業者の軽トラックが、家の前でずっと停車している。

何だろうか。ご近所さんが灯油缶を出している気配もない。実家の灯油はもう僕が車で補充するようにしているので、買う気もない。

横目に玄関のカギを閉めていると、

「すいません」

細身で眼鏡をかけた年配の男性が、軽トラックから降りてきて、僕に話しかけてきた。朴訥とした、礼儀正しい人だった。

「はい。何ですか」

「突然ですいません。私、長年お父様から灯油を毎週買っていただいていた者なのですが、最近お父様をお見かけしなくなっておりましたので、気になって声をかけてしまいました」

すいません、ともう一度、男性は僕に謝罪した。

「ああ、そうなんですか。父は今、体調を崩して、入院しているのです。それでこの家にはいないんです」

「ああ、そうなんですか・・・」

「脳梗塞で、体が半分動かなくなりまして」

男性はその言葉を聞いて、大層なショックを受けたようだった。

父は、例外を嫌う人間だ。

一度決めたパターンを崩されることを、異様に嫌う。

なので、一度決めたこの灯油訪問販売業者から、値段も何も考えずに、何年も何年も買い続けていたのだろう。

ガスファンヒーターに変える予定だったので、もう父が独自に灯油を買うことはない。父は結構な量の灯油を買っていたはずなので、売り上げは結構落ちるだろう。はっきり断ってガッカリさせるのも忍びない。

「なので、また父親が退院して、体が動くようになったら、お願いするかもしれませんけど・・・」

ていよく長年の慣習を断とうとした僕に、

「いえいえ、そんなことはどうでもいいんです」

と男性は言葉を遮った。

「灯油を買っていただくとか、そんなことはどうでもいいんです。お父様の命が無事だったことが、何より一番なんです」

そういいながら、何に拝んでいるのか、男性はずっと胸の前で両手を併せている。

「退院されても、うちで灯油を購入していただくとか、そんなことはしていただかなくて結構です。ただ、ご無事で良かったとだけお伝え下さいませんか」

僕は、自分の先入観を幾分恥じた。この男性は、ただ灯油をうちに売りたいだけなのだろうと、邪険に扱おうとしていた。

この男性は灯油以外にも、昔ながらの「何か」を、売っていた人だった。

「あ、はい。ありがとうございます」

頭を下げた。

「そんな、頭を下げないで下さい。身体が大事ですから。命が何より大事ですから」

そう言ってずっと、男性は何かに拝むように、胸の前で両手を揃えていた。

* * *

病院のロビーで、兄と合流した。

今後の介護の方向性や、自分たちが何をすべきかなど、話し合うためだ。

石油ファンヒーターをやめて、ガスファンヒーターを買おうと思う、そうすればスイッチ一つで即暖房だし、燃料補充がいらないからと兄に言った後、

「でもな」

さきほど遭遇した、灯油訪問販売業者の話をした。

「ええ人やな」

「ええ人やろ。それで、石油ファンヒーターは確かに面倒やし、体がどこまで回復するか分からへん親父には難儀やろうと思うねんけど、その灯油販売の男性に俺から言うて、灯油缶を家まで上がって補充してもらうというのも、アリかなと思って」

「そうやな。親父は引きこもって誰とも会話せぇへんし、その人なら喜んで交流してくれるかもな」

「俺、少しその男性の優しさに感動したから、すぐ病院行って親父に顛末を話してん」

「うん」

「親父、『そんな人知らん』って」

「・・・マジか」

「ほら、眼鏡かけて細身でって必死に説明したけど、無言で頭振ってた」

「・・・台無しやな、親父」

うちの父は、基本的に他人に興味がない。向こうが親しみを持ってくれるほど長い年月、週に一回とはいえ交流があったとしても、父にとっては相手の顔を覚える必要がない程度のものだったのだ。

息子からすると、大いにあり得る話ではあるが、そこは知っていて欲しかったし、「ありがたい」と感謝して欲しかった。

もう一度書くが、僕は自分勝手な人間が、当然のように「優しい人」の恩恵を被り、無自覚でいることが我慢ならない性格なのだ。

「ありがとう」を言わない人間は、無自覚だ。自覚があるなら、もっとたちが悪いが、無自覚な父に関しては首の皮一枚残して我慢している。

 

世の中は、「優しい人」と「優しくない人」に別れている。

優しい人だけで、世の中は回らない。今の世の中は、そういうもので溢れかえっているので、優しいだけで生きていける時代ではない。その傾向は、これからどんどん顕著になっていく。

そういう未来を選んだのは、僕たちだ。

優しい人でも、生きて行くために優しくない振りをして人を傷付けなくてはならない時もある。そういう人は、日々ストレスを抱え込んでいるかもしれないが、結果として人に優しくできないどころか傷付けているのだから、同罪だと思っている。

「根は優しい人だから」と言って許すことは、その人の為にならない。人はおおよそ、根は優しくできているからだ。

灯油訪問業者の男性は、灯油ともう一つ、「何か」を売っていたのだろう。

昔の対面販売が当たり前だった日本では、普通に売っていた「何か」を。田舎に住む僕には、それが少し分かる。

便利な社会は効率を優先し、不便さを置き去りにしていく。

そうして出来上がった効率的な社会は、不便さや面倒くさいことからしか収穫できない、目に見えないものを考慮せず、無自覚になる。無自覚に何も考えず、色々なものを踏みにじる社会になっていく。

できるなら僕は、優しい人達に囲まれて暮らしたいと思う。

優しい人に囲まれて暮らすために、落ちぶれて滅びることがあるとするならば、それは納得して受け入れようと思う。

随分前から、交友関係は「優しい人」で判定するようにしている。

僕は決して「優しい人」ではないけれど、「優しい人」に敬意を持ち、感謝して、なるべく踏みにじらないようにしながら生きていきたい。

 

こうして。

一度は、父の「人との交流を生む」という石油ファンヒーターの思わぬ利点に心動いた僕だったが、無自覚な父に踏みにじられ、結局ガスファンヒーターに買い替える案が採用されたのだった。

得てして。世の中こんなもんでは、あるけれど。

僕が実家にいる間は石油ファンヒーターを残しておいて、灯油訪問業者の男性から灯油を買うようにしようか、などと。

何となく思っている。

娘が忍者を倒してくれなかった話。

「忍者、三人しかおらんかった」

保育園の遠足で、忍者村に行ってきた娘が、僕に言った。

「ほう。三人ね。少ないね」

「なんかな。おっちゃんの忍者が保育園クラスのウチらを案内してくれて、お姉ちゃん忍者も二人おった」

「そうか・・・ちょっとええ感じの観光バスツアーみたいやな。忍者の世界も、人出不足なんかもな」

僕がそう言うと、

「忍者の世界に人手不足って・・・」

奥さんがつぶやいた。

「おそらく姉ちゃん忍者はアルバイト契約か派遣なんちゃうかしら。技術職と同じく、忍者も専門職やから、それだけで食べていけるようにせんと、日本はダメになるで。忍者業界も、世間の流れに抗えず、移民を受け入れなあかんのかもな」

忍者の世界も、非正規雇用で人件費を削減し、バイトを雇い、中間管理職が現場へ出て働かなければないようだ。とんだブラック体質である。

などと、どうでも良い話で一回お茶を濁す。僕の悪い癖だ。

「世知辛い世の中やね。それで娘」

「何父ちゃん」

「前にお願いした様に、お友達と、その忍者を倒してきてくれたのか?」

「倒してない」

「何でや、あれだけ父ちゃん頼んだやないか! お前は、父ちゃんが忍者に殺されてもええんか!」

「そんなん言わんといて! だって、倒したら忍者さん可愛そうやんか!」

「可愛そうか! そうかそれならしゃあないな!」

とりあえず、娘にとって忍者村は、それなりに楽しかった様であった。

* * *

話を少し、巻き戻す。

娘が保育園の先生に怒られて、登園しなくなっていた。

ずっと行くのを楽しみにしていた秋の遠足にも、とうとう「行かない」と言い出した。

くだんの忍者村である。

僕の目前で、

「保育園のみんなと忍者村へ行っても楽しくない。行かへん。父ちゃんと母ちゃんと行くからいい。父ちゃんと母ちゃんとで行く方が楽しい」

と言い出した。

奥さんは色々、粛々と娘を傷付けないように、皆と行く方が良い旨、諭していた。

しかし我が娘は一度言い出したら頑として聞かず、人の意見に耳を貸さない。一体誰に似たのか、親の顔が見てみたい。

蚊帳の外みたいで寂しかったので、父ちゃんの出番かなと勝手に思って、人生の先輩として娘を諭すべく勝手に出動してみる。

「なあ、娘」

「何父ちゃん」

「忍者村、皆と一緒に行った方がええで」

「嫌。父ちゃんと母ちゃんとで行く」

「それがあかんねん。実は父ちゃん、忍者村にだけは行かれへんねん」

ひたすら真顔で、真剣に話す。

「・・・何で?」

「父ちゃんな。実はずっと前から、忍者に命を狙われてるねん。皆にはないしょやで」

「うそや」

「嘘やない。父ちゃん実は、おサムライやねん。おサムライはな、忍者に命を狙われてしまう運命やねん」

「運命って何」

「さだめ、やな」

「ださめって何」

「もう、そこは流してええわ。それでな、普通に生きてるだけで、そこらへんから手裏剣は飛んでくるわ、寝てたら槍でつつかれるわ、おちおち寝てられへん。お前は寝相悪くグーグー寝てるけどな。父ちゃんはいつもお前の隣で、忍者の攻撃をかわしてたんや。でもな、父ちゃんもずっと忍者と戦って生きてきたんやけど、もうおっちゃんやん?」

「そうやな」

「そこはすぐ認めるねんな。そうや。だからもう、忍者と戦ったら、負けてしまうねん。父ちゃんが、忍者にやられて死ぬのは嫌やろ?」

「嫌」

別にって言われていたら、しばらく立ち直れないところである。

「そやからな。お前と保育園のお友達とで力を併せて、忍者村行って、父ちゃんの代わりに忍者を倒してきて欲しいねん。お願い」

「嫌。父ちゃんと母ちゃんとで倒しに行く」

「分からん奴やな。父ちゃんは、忍者に狙われてるって言うたやないか。お前、父ちゃんが忍者に殺されてもええんか」

「それも嫌」

「皆で行って、忍者のおでこに手裏剣投げたらええだけやないか。やってみて。スコーンとおでこに刺さるから。手裏剣は折り紙で沢山作ったるから」

「嫌ったら、嫌」

「くそう・・・」

説得失敗。それどころか話は何が何だかよく分からない方向へ行ってしまい、娘の行きたくないという思いを覆すことはできなかった。

しかし遠足当日、行かない旨先生に伝えに行くと、強引にバスに乗せられて、結局忍者村には行ったらしい。奥さんによると、帰ってきたらそれなりに楽しかったと言っていたそうである。

そして。

楽しいには楽しかったが、それはそれとして、結局保育園へ行きたくない気持ちまで、変えることはできなかったという。

* * *

娘の先行きが不安だ。

女の子が興味を持つものに、あまり関心がないように時々感じていた。保育園へ行っても、他の女の子は長髪で細くて可愛らしい感じに育っているのに、うちの娘は何をしてもガサツで大雑把で時々「ガハハハ」と笑っている。

不安だった。

――このままでは将来、キャピキャピした立派なギャルになれないのではないか。

父として、そんな一抹の不安をぬぐい去れなかった。

この前も、うんこちんこと安易な笑いを取りにいくので、

「そんな安直な下ネタで笑いを取っても、大人になったら誰も笑いはせんぞ」

とたしなめたが、

「面白いからええの」

「うんこちんこで笑ってもらっても、それはお前の力やない。うんことちんこの持つ言葉のポテンシャルのおかげなんやぞ」

「何言うてるか分からん」

とむくれてしまった。

その内、島田珠代のように壁にぶつかって、自分自身の力で乗り越える日が必要なのであろう。男なんてシャボン玉だと、知る日が来るだろう。

この間など、

「父ちゃん、相撲取ろう相撲。10回とろう」

と言ってくるので、女の子なのに相撲だなんてと思い、

「お前・・・そんなん言うてて、将来立派なピチピチギャル(死語)になれるとでも思ってんのか!」

ほっぺをつねってみた。

「ピチピチギャルになんてならんでいい!」

もっともな返し文句に父親としてぐうの音も出なかったこともあった。

このようにガサツで大雑把な娘だが、ならば性格は竹を割ったようにサッパリしているのかと言えば、人一倍泣き虫で、人一倍繊細なガラスのハートを持っている。

誰に似たのだろう。本当に親の顔が見てみたい。

秋の遠足の前。

最近娘は、保育園で泣くことが増えてきたらしく、先生に「いい加減に泣くのを止めなさい」的な叱咤激励をされたという。娘はそれを叱られたと思い込み、以降保育園を休みがちになってしまった。

僕に少し似て、感受性が強いのかもしれない。

必要以上に人を気にして、相手が怒ってもいないのに、「怒っている」「拒絶された」と思ってしまったのかもしれない。

そんなに簡単に、人は人を、拒絶することはないのに。

娘は、先生を「拒絶」し、保育園のお友達をも「拒絶」してしまった。

父ちゃんと母ちゃんは、自分を絶対に「拒絶」しないと、知っているのだろう。それはそれで正解だし、間違ってはいない。自分の居場所が確保されている、親という存在に、安心しているのだろう。

 

人には、「居場所」が必要だ。

安心して眠ることができて、安心して泣くことができて、安心して笑うことができる。

そんな、「居場所」が。

自分で作ることもあれば、人から貰うこともある。そこにいれば、自分を守ることができる。守られていられる。自分を認めてもらえる。自分が認めてあげることができる。

孤独にならないための、「居場所」。

できる限り、沢山あった方がいい。

家庭でも、友達同士でも、恋人同士でも、会社でも、仕事場でも、学校でも、サークル活動でも、老人会でも。

保育園でもいい。

別に、娘のために、僕が忍者を一緒に倒しに行っても構わなかった。それはそれで、親として必要とされていることで、とても嬉しいことだ。

でも、娘が仲間たちと一緒に、忍者を倒しに行ってくれた方が、僕は嬉しかったのだ。

娘には、孤独になって欲しくない。

彼女にはこれから、沢山の沢山の、自分の「居場所」を、作って欲しい。

僕はやがて、君より先に確実に死ぬ。

忍者に殺されるかもしれないし、病気で死ぬかもしれない。僕は、君の「居場所」になってあげることはできなくなる。

父ちゃんと母ちゃんと、忍者を倒しに行けなくなる日は、必ずやってくる。

その時娘には、大勢の仲間と一緒に、忍者を倒しにいけるだけの、「居場所」があって欲しい。

そんな「居場所」を沢山作って、孤独に打ち勝つ、武器を持って欲しい。手裏剣でも槍でも、何でもいい。

そのためならば、娘にとっての「僕という居場所」がなくなってしまおうが構わない。僕の「孤独」と引き換えに、娘の「居場所」ができるのならば。

喜んで僕は自分の「孤独」を支払い、娘の「居場所」を買いとるだろう。

娘は、「そんなん言わんといて」と言うだろうか。

それはそれで、嬉しかったりもする。

人間とは、相反する感情を同時に併せ持つ。やっかいな生き物だとつくづく思う。

* * *

「父ちゃん。折り紙で手裏剣、沢山作ってや。前に折ってくれるって言うてたやろ」

にやっとした顔で、娘が僕に言う。

「えー。面倒くさい」

「そんなん、言わんといて」

最近の娘は、この言葉をよく使う。お友達から色々気にすることを言われることが多くなり、使うようになったのかもしれない。

「だって父ちゃん、手裏剣折るの上手やん」

上手なのではない。そらで折れるものが、やっこさんと手裏剣しかなかっただけの話である。

「確かに折ったるって言うたけど・・・忍者倒しに行ってくれへんかったやろ。自分で折れや」

「作ってみたけど、上手に折られへん」

「じゃあ、教えたるから父ちゃんと一緒に折ってみよう。覚えたら、お友達にも教えてあげるねんで」

「分かった」

僕が全部折ってあげることは、僕の自己満足にしかならない。

彼女が自分で折ることができるようになれば、やがて他の人に、折ってあげるようになるかもしれない。

子供が親の手を借りず、自分でできるようになるということの本質は、そういうところにあると思う。

自分でできるようになるということは、相手にしてあげることができる、とも言える。

自分の「居場所」を与えてもらうばかりではなく。

自分の「居場所」を作ることができるように、なって欲しい。

「・・・そうやない。そこはこういう風に折るの。父ちゃんの折り方、ちゃんと見ときなさい」

「あー。もう面倒くさいなあ。やっぱり父ちゃん全部折って。そんで手裏剣投げ合いっこしよう!」

現実はまあ。

こんなもんではあるのだけれど。

木を切る罪、殺して埋める罪。

実家の前に、カイヅカイブキという木が植えられている。

その木を切ることになった。

「なった」と書いてはいるが僕の独断で決めたことで、父親は何年も何年も、良い返事をしてこなかった。

その父が入院したことを機に、「もう、木を切るからな」と半ばおどしで僕が決めたのだった。

* * *

年老いた父は、木の手入れを何年も何年も、放棄していた。

秋ごろに針のような落ち葉が落ちても、掃除をすることもしなかった。伸び放題の枝も、剪定しない。枝が伸びすぎて道路を越えてしまい、背の高いトラックがぶつかっては枝がバキッと折れていく。

近所の人から、どんな目で見られていたことか。

呑気にテレビを観る父に、

「自分で掃除もしない。剪定もしない。トラックもぶつかる。消防車がぶつけて謝りに来たこともあったやないか。それなら、あの木は切っても文句はないな」

と僕が問いかけると、

「・・・」

父は無言でテレビを観続ける。こういう時の無言は、「拒否」か「困惑」である。

「嫌なんか?」

「嫌やないけど」

「その言い方は納得してへんやないか。残したいなら自分で掃除するなり、剪定するなりせぇや。するんやな?」

「面倒臭いわ」

「ほな切ってもええな?」

「・・・」

こういう煮え切らない父の態度に、母はよく「離婚したい」とぼやいていた。父は昔から、何事も自分で決めてこなかった。責任から逃れ、調和からも逃げる男の背中を、反面教師として僕は育った。

昔一度、何でも屋に頼んで枝の剪定をしてもらったことがあった。

実家を離れた僕は父に、

「ほら、この木を切るのが嫌なら、ここに電話して今日みたいに剪定してもらえばいいから。自分で面倒くさいから掃除もしないんなら、業者にお金出して頼め」

そう言ってなるべく木を切らずに済むよう気を利かせたにもかかわらず、業者を呼ばずに5年がたっていた。

剪定することで余計な枝がなくなり、栄養を必要な部分にだけ送り込めるようになったカイヅカイブキは枝の勢いが良くなってしまい、とうとう二階の窓まで届いて屋根まで到達しようとしていた。

父は倒れ入院し、今までのように動ける見込みがなくなり、生活をできる限りシンプルにしていかなくてはならなくなった。

僕が動ける間に、実家のものを処分することになり、家の前の木を切り落とすことを認めさせた。

三十年以上前から、家の前に生えていた木を。

自分はよく、こういう面倒な役回りを担うな、と思う。決められない人間が世の中に多いのは仕方がないとして、父親の決断力のなさは抜きんでている。

* * *

業者に見積もって貰うと、二万円強と言われた。

父親に出させるのでいくらでも良いが、それにしても結構かかる。

最近の病院は、昔と違って、入院患者の世話を思うようにさせない方針になっている。毎日のように病室へ行くことも迷惑のようである。

日曜日の昼。とりあえず、枝バサミを使って、二階の窓から枝を剪定すことにした。娘が横でキャッキャと騒ぐ。

木を切り倒すにしても、枝が覆いかぶさり過ぎている。とりあえず、横や上に伸びた細い枝をバッサバッサと切ることにした。

「何してるの?!」

隣のおばちゃんが、声をかけてくる。

「いや、親父が落ち葉落ちても掃除しおらんから、近所迷惑やし、何より道路に突き出してるし。この木、切ろう思て」

「そうか。それやったら、うちのオッサンに手伝って貰ったらええ。二人でやったら早いよ」

「・・・ええわ。一人でやるよ」

「遠慮せんでええのに」

「いや、とりあえず今日の分は終わったから。気持ちだけ貰っておくわ・・・ありがとう」

そう言って、二階の窓から顔を引っ込めた。

 

隣のおっちゃんとおばちゃんには、子供ができなかった。

望んだものの、できなかった。今より不妊治療も進んでない時代だ。

なので僕は小さい頃、我が子の様に目をかけられた。毎日のように家に上がり込んでは、お菓子をもらったり、ジュースを貰ったりしていた。

僕が中学生になり、反抗期に入ると、実の親同様に、隣の家の二人にも反抗的になった。随分長い間、顔を併せて挨拶されても、無視するようになっていた。お恥ずかしい話である。

おばちゃんに挨拶するようになったのは、ここ十年くらい。少しずつ少しずつ、打ち解けるように話をするようになったが、おっちゃんとはまだ雪解けまで行っていない。今でもまだ挨拶しかしない関係なので、一緒に作業をするなど気恥ずかしくてできない。まだ、できないのである。

ギコギコギコギコ

外から、ノコギリで木を引く音が聞こえてくる。

階段を下りて外に出ると、隣のおっちゃんが、木の枝を大きなノコギリで切り落としていた。

「ああ。おっちゃんが、木を切ってしもたわ」

隣にいたおばちゃんが言う。

「・・・奈良の家に、電動ノコギリと小型のチェーンソーあるから、それ持って来てからやるつもりやってん」

「そんなもん素人が使ったら手ぇ切るぞ。ノコギリ貸したるから、手で切れ」

と、今度はおっちゃん。

「どっちにしても、木を切るから、近所の神社に、お祈りしようとしててん。枝持って行って、お祈りしようかと」

僕が言うと、

「律儀やな! そんなん、こんな細い木切るくらいで呪われるかいな。これぐらいやったら何もせんでええんちゃう?」

おばちゃんが驚いて僕にそう返したとき、

「いや、せなあかんぞ」

おっちゃんが、僕の意見に同意してくれた。

「この家が建って何年や。お前、小学生くらいやったやろ」

「35年・・・くらいかな」

「30年越えた木やからな。塩ふって酒でもかけてやれ。神社行って許可貰ってきたらええ。賽銭入れて、手叩くだけでええ」

それだけ言うとおっちゃんは、家の方へ帰っていった。

「ごめんな。ああ言うと、もう聞かへんからな。言うてるようにしといた方がええで。あと、何でも手伝うから言うてや」

おばちゃんが困った顔で僕にフォローしてきた。

「ありがとう」

そう言っておばちゃんとも別れ、僕は木の根元を見つめた。

隣のおっちゃんの言葉に素直に従ったのは、この家を建てた人だったからだ。木には特別の想いのある人の、言葉だからだ。

この木を植えたのも、元大工だった、隣のおっちゃんだ。

あれから、35年の時が過ぎた。

* * *

木の根元には、一羽のひよこの死骸が埋まっている。

すでに土に還ってしまい、影も形も残っていないだろう。

僕が神社の縁日で釣り上げ、持ち帰った。そういえば、木を切る許可を貰いにお祈りしに行く神社だ。

35年前の話だ。飼うのに反対していた母親も、最後には根負けして可愛がっていた。

オスだったので卵を産まない。

「最後にはひいて、空揚げにして食べたらええ」

田舎育ちで、小さい頃から廃鶏をひいて食べてきた母からすれば何でもない言葉だろうが、やけに反発したものだった。

一週間後、ひよこは死んだ。僕が殺したのだ。

ピーピーあまりにも煩いので、頭にきて捕まえて投げつけた。段ボール箱の中に、暖を取るためのお湯を入れた瓶が湯たんぽ代わりに入っていたのだが、そこにぶつけた。

殺す気はなかったが、加減ができなかった。少しずつ息絶えていく、ひよこの姿は今でもはっきり思い出せる。

僕は罪の意識から大泣きし、母親に助けを求めた。そして嘘をついた。

「今見てみたら、弱っていた。死にそうになっている。どうしよう」

母親は僕に、「寒かったから、弱っていたのだろう。仕方がない。お前はひよこの為にこんなに泣けるなんて優しい子だ」と言って慰めた。

「僕が殺してしまった」と言うことで、怒られることが怖かった。

自分が優しい子供ではないと、僕は知っていたが、周囲の優しさが心地よくて、黙っていた。

母親が「木の横に埋めたらええ。木の養分になって、よく育つやろう」と言った。その通りに埋めた。

 

やがて僕は風邪をひき、連絡帳を持って来てくれた近所の女の子から、作文を書くようにと伝えられた。

休みの間に、ひよこが死んだ話を書いた。僕が殺したことにはせず、寒さで死んでしまったことに書き換えた。

休み明け、先生は僕の作文を褒めた。それどころかクラス全員に印刷して読ませ、

「T君は、動物をこんなにも可愛がり、死を悲しむ優しい心を持っています。みんなも見習って下さい」

皆が僕を慰め、褒めた。

小学生の僕だけが、殺した事を一人で抱えた。優しい子だと言われる心地よさを、手放すことができなかった。

* * *

その木を、切ることに決めた。

木を根元からは掘り返すまではしないけれど、いつも木を見るとき、僕の視線は根元を向いていた。

忘れてしまっていることがほとんどだし、今となっては罪の意識も薄い。あの時、正直に母に言ったとしても、そこまで怒られはしなかったかもしれない。

この木に、木霊が宿るのならば。僕に殺された小さな魂が宿っているのならば。

僕は、それらの精霊たちには、許されないことをしようとしているのかもしれないが、自分の責任において「木を切る」ことを選んだ。

様々な過去を、ここに置いていく。

自分勝手であることは承知している。人が生きると言うことはいつも、自分都合の未来を選ぶということも知っている。

ただそのことを、決してこの先、忘れない様にして。

 

人は、自分の中に「罪」を作る。

生きていく中で、大小様々な「罪」を犯す。犯さずに生きていくことなど、おそらくできない。

その「罪」を気にする人もいれば、気にしない人もいる。他人に許しを請う人もいれば――。

自分で、その「罪」に向き合い、ある時は許し、ある時は抱え込んで生きていく。

奈良の家の周りは、木でいっぱいだ。右を見ても左を見ても、木が生えている。うっとおしいくらいに生えている。

住民たちは、容赦なく木を切る。別に神社にはお祈りはしない。そうかと思えば、辻にある地蔵の横に立派なイチョウの木が生えていて、綱が巻いてある。この木を切る時は、何がしかの厄祓いをするだろう。

生きていくための木と、信仰としての木を分けている。

一本の木を切る「罪」を、どのように線を引くのか。

近所の知り合いの鶏卵業者は、卵を産まなくなった廃鶏を、裁いてよく分けてくれる。食卓に出ると、少し硬いのでどうやれば柔らかくできるのかなあ、という話題になる。

一匹の鳥を殺す「罪」を、どのように線を引くのか。

ある場合は「有罪」となり、ある場合は「無罪」となる。

その線引きは多分、他人がすることではない。

自分の覚悟と責任で引く、しっかりとした、まっすぐな「線」でなくてはならない。

自分に優しくしてくれてきた人たちをないがしろにしてきたことも罪ならば。

僕はその罪を抱え込み、また優しくしてきてくれた人とともに、思い出を分けあいながら生きていく。

 

木を切った後にできる切り株は、掘り起こさずに残そうと思っている。

まだ、切り落とされていない実家の前のカイヅカイブキの木を見上げながら。

小さい頃の僕が、隣のおっちゃんに「将来、大工になる」と言っていたことを思い出していた。

大工にならなかった僕は、おっちゃんの嬉しそうな笑顔を思い出しながら。

木の根元に、塩と酒を振りかけた。