実家の前に、カイヅカイブキという木が植えられている。
その木を切ることになった。
「なった」と書いてはいるが僕の独断で決めたことで、父親は何年も何年も、良い返事をしてこなかった。
その父が入院したことを機に、「もう、木を切るからな」と半ばおどしで僕が決めたのだった。
* * *
年老いた父は、木の手入れを何年も何年も、放棄していた。
秋ごろに針のような落ち葉が落ちても、掃除をすることもしなかった。伸び放題の枝も、剪定しない。枝が伸びすぎて道路を越えてしまい、背の高いトラックがぶつかっては枝がバキッと折れていく。
近所の人から、どんな目で見られていたことか。
呑気にテレビを観る父に、
「自分で掃除もしない。剪定もしない。トラックもぶつかる。消防車がぶつけて謝りに来たこともあったやないか。それなら、あの木は切っても文句はないな」
と僕が問いかけると、
「・・・」
父は無言でテレビを観続ける。こういう時の無言は、「拒否」か「困惑」である。
「嫌なんか?」
「嫌やないけど」
「その言い方は納得してへんやないか。残したいなら自分で掃除するなり、剪定するなりせぇや。するんやな?」
「面倒臭いわ」
「ほな切ってもええな?」
「・・・」
こういう煮え切らない父の態度に、母はよく「離婚したい」とぼやいていた。父は昔から、何事も自分で決めてこなかった。責任から逃れ、調和からも逃げる男の背中を、反面教師として僕は育った。
昔一度、何でも屋に頼んで枝の剪定をしてもらったことがあった。
実家を離れた僕は父に、
「ほら、この木を切るのが嫌なら、ここに電話して今日みたいに剪定してもらえばいいから。自分で面倒くさいから掃除もしないんなら、業者にお金出して頼め」
そう言ってなるべく木を切らずに済むよう気を利かせたにもかかわらず、業者を呼ばずに5年がたっていた。
剪定することで余計な枝がなくなり、栄養を必要な部分にだけ送り込めるようになったカイヅカイブキは枝の勢いが良くなってしまい、とうとう二階の窓まで届いて屋根まで到達しようとしていた。
父は倒れ入院し、今までのように動ける見込みがなくなり、生活をできる限りシンプルにしていかなくてはならなくなった。
僕が動ける間に、実家のものを処分することになり、家の前の木を切り落とすことを認めさせた。
三十年以上前から、家の前に生えていた木を。
自分はよく、こういう面倒な役回りを担うな、と思う。決められない人間が世の中に多いのは仕方がないとして、父親の決断力のなさは抜きんでている。
* * *
業者に見積もって貰うと、二万円強と言われた。
父親に出させるのでいくらでも良いが、それにしても結構かかる。
最近の病院は、昔と違って、入院患者の世話を思うようにさせない方針になっている。毎日のように病室へ行くことも迷惑のようである。
日曜日の昼。とりあえず、枝バサミを使って、二階の窓から枝を剪定すことにした。娘が横でキャッキャと騒ぐ。
木を切り倒すにしても、枝が覆いかぶさり過ぎている。とりあえず、横や上に伸びた細い枝をバッサバッサと切ることにした。
「何してるの?!」
隣のおばちゃんが、声をかけてくる。
「いや、親父が落ち葉落ちても掃除しおらんから、近所迷惑やし、何より道路に突き出してるし。この木、切ろう思て」
「そうか。それやったら、うちのオッサンに手伝って貰ったらええ。二人でやったら早いよ」
「・・・ええわ。一人でやるよ」
「遠慮せんでええのに」
「いや、とりあえず今日の分は終わったから。気持ちだけ貰っておくわ・・・ありがとう」
そう言って、二階の窓から顔を引っ込めた。
隣のおっちゃんとおばちゃんには、子供ができなかった。
望んだものの、できなかった。今より不妊治療も進んでない時代だ。
なので僕は小さい頃、我が子の様に目をかけられた。毎日のように家に上がり込んでは、お菓子をもらったり、ジュースを貰ったりしていた。
僕が中学生になり、反抗期に入ると、実の親同様に、隣の家の二人にも反抗的になった。随分長い間、顔を併せて挨拶されても、無視するようになっていた。お恥ずかしい話である。
おばちゃんに挨拶するようになったのは、ここ十年くらい。少しずつ少しずつ、打ち解けるように話をするようになったが、おっちゃんとはまだ雪解けまで行っていない。今でもまだ挨拶しかしない関係なので、一緒に作業をするなど気恥ずかしくてできない。まだ、できないのである。
ギコギコギコギコ
外から、ノコギリで木を引く音が聞こえてくる。
階段を下りて外に出ると、隣のおっちゃんが、木の枝を大きなノコギリで切り落としていた。
「ああ。おっちゃんが、木を切ってしもたわ」
隣にいたおばちゃんが言う。
「・・・奈良の家に、電動ノコギリと小型のチェーンソーあるから、それ持って来てからやるつもりやってん」
「そんなもん素人が使ったら手ぇ切るぞ。ノコギリ貸したるから、手で切れ」
と、今度はおっちゃん。
「どっちにしても、木を切るから、近所の神社に、お祈りしようとしててん。枝持って行って、お祈りしようかと」
僕が言うと、
「律儀やな! そんなん、こんな細い木切るくらいで呪われるかいな。これぐらいやったら何もせんでええんちゃう?」
おばちゃんが驚いて僕にそう返したとき、
「いや、せなあかんぞ」
おっちゃんが、僕の意見に同意してくれた。
「この家が建って何年や。お前、小学生くらいやったやろ」
「35年・・・くらいかな」
「30年越えた木やからな。塩ふって酒でもかけてやれ。神社行って許可貰ってきたらええ。賽銭入れて、手叩くだけでええ」
それだけ言うとおっちゃんは、家の方へ帰っていった。
「ごめんな。ああ言うと、もう聞かへんからな。言うてるようにしといた方がええで。あと、何でも手伝うから言うてや」
おばちゃんが困った顔で僕にフォローしてきた。
「ありがとう」
そう言っておばちゃんとも別れ、僕は木の根元を見つめた。
隣のおっちゃんの言葉に素直に従ったのは、この家を建てた人だったからだ。木には特別の想いのある人の、言葉だからだ。
この木を植えたのも、元大工だった、隣のおっちゃんだ。
あれから、35年の時が過ぎた。
* * *
木の根元には、一羽のひよこの死骸が埋まっている。
すでに土に還ってしまい、影も形も残っていないだろう。
僕が神社の縁日で釣り上げ、持ち帰った。そういえば、木を切る許可を貰いにお祈りしに行く神社だ。
35年前の話だ。飼うのに反対していた母親も、最後には根負けして可愛がっていた。
オスだったので卵を産まない。
「最後にはひいて、空揚げにして食べたらええ」
田舎育ちで、小さい頃から廃鶏をひいて食べてきた母からすれば何でもない言葉だろうが、やけに反発したものだった。
一週間後、ひよこは死んだ。僕が殺したのだ。
ピーピーあまりにも煩いので、頭にきて捕まえて投げつけた。段ボール箱の中に、暖を取るためのお湯を入れた瓶が湯たんぽ代わりに入っていたのだが、そこにぶつけた。
殺す気はなかったが、加減ができなかった。少しずつ息絶えていく、ひよこの姿は今でもはっきり思い出せる。
僕は罪の意識から大泣きし、母親に助けを求めた。そして嘘をついた。
「今見てみたら、弱っていた。死にそうになっている。どうしよう」
母親は僕に、「寒かったから、弱っていたのだろう。仕方がない。お前はひよこの為にこんなに泣けるなんて優しい子だ」と言って慰めた。
「僕が殺してしまった」と言うことで、怒られることが怖かった。
自分が優しい子供ではないと、僕は知っていたが、周囲の優しさが心地よくて、黙っていた。
母親が「木の横に埋めたらええ。木の養分になって、よく育つやろう」と言った。その通りに埋めた。
やがて僕は風邪をひき、連絡帳を持って来てくれた近所の女の子から、作文を書くようにと伝えられた。
休みの間に、ひよこが死んだ話を書いた。僕が殺したことにはせず、寒さで死んでしまったことに書き換えた。
休み明け、先生は僕の作文を褒めた。それどころかクラス全員に印刷して読ませ、
「T君は、動物をこんなにも可愛がり、死を悲しむ優しい心を持っています。みんなも見習って下さい」
皆が僕を慰め、褒めた。
小学生の僕だけが、殺した事を一人で抱えた。優しい子だと言われる心地よさを、手放すことができなかった。
* * *
その木を、切ることに決めた。
木を根元からは掘り返すまではしないけれど、いつも木を見るとき、僕の視線は根元を向いていた。
忘れてしまっていることがほとんどだし、今となっては罪の意識も薄い。あの時、正直に母に言ったとしても、そこまで怒られはしなかったかもしれない。
この木に、木霊が宿るのならば。僕に殺された小さな魂が宿っているのならば。
僕は、それらの精霊たちには、許されないことをしようとしているのかもしれないが、自分の責任において「木を切る」ことを選んだ。
様々な過去を、ここに置いていく。
自分勝手であることは承知している。人が生きると言うことはいつも、自分都合の未来を選ぶということも知っている。
ただそのことを、決してこの先、忘れない様にして。
人は、自分の中に「罪」を作る。
生きていく中で、大小様々な「罪」を犯す。犯さずに生きていくことなど、おそらくできない。
その「罪」を気にする人もいれば、気にしない人もいる。他人に許しを請う人もいれば――。
自分で、その「罪」に向き合い、ある時は許し、ある時は抱え込んで生きていく。
奈良の家の周りは、木でいっぱいだ。右を見ても左を見ても、木が生えている。うっとおしいくらいに生えている。
住民たちは、容赦なく木を切る。別に神社にはお祈りはしない。そうかと思えば、辻にある地蔵の横に立派なイチョウの木が生えていて、綱が巻いてある。この木を切る時は、何がしかの厄祓いをするだろう。
生きていくための木と、信仰としての木を分けている。
一本の木を切る「罪」を、どのように線を引くのか。
近所の知り合いの鶏卵業者は、卵を産まなくなった廃鶏を、裁いてよく分けてくれる。食卓に出ると、少し硬いのでどうやれば柔らかくできるのかなあ、という話題になる。
一匹の鳥を殺す「罪」を、どのように線を引くのか。
ある場合は「有罪」となり、ある場合は「無罪」となる。
その線引きは多分、他人がすることではない。
自分の覚悟と責任で引く、しっかりとした、まっすぐな「線」でなくてはならない。
自分に優しくしてくれてきた人たちをないがしろにしてきたことも罪ならば。
僕はその罪を抱え込み、また優しくしてきてくれた人とともに、思い出を分けあいながら生きていく。
木を切った後にできる切り株は、掘り起こさずに残そうと思っている。
まだ、切り落とされていない実家の前のカイヅカイブキの木を見上げながら。
小さい頃の僕が、隣のおっちゃんに「将来、大工になる」と言っていたことを思い出していた。
大工にならなかった僕は、おっちゃんの嬉しそうな笑顔を思い出しながら。
木の根元に、塩と酒を振りかけた。