手練れのスリ師(仮)。

今回は、現代社会の闇に潜む、僕が遭遇した「恐ろしい話」を書いてみようと思う。

* * *

nanaco というポイント制度をご存じだろうか(まあご存じと思うが)。

セブン&アイホールディングス傘下のポイント制度で、主にセブンイレブンでいい気分になるために開始されたものである。

10月22日の日曜日だったと思う。

朝、いつものようにセブンイレブンのコーヒーを買おうと思ったら、手持ちのnanacoカードが財布に入っていなかった。

(お・・・俺の財布から、nanacoカードを盗んだ奴がいる?!)

いつの間に盗まれたのだろう。おそらく手練れのスリ師(仮)の犯行だろう。とっさにそう確信せざるを得なかった。

わざわざセブンイレブンを使っているのは、税金・公共料金その他の支払いでポイントがつくのが、nanaco支払いのみだからだ。

クレジットカードからnanacoにチャージする際、クレジットポイントが発生する。支払い時にはポイントは付かないものの、ちりも積もれば山となって、一年間で結構な額がポイントとしてもらえる(なのでnanacoポイントが貯まる訳ではない)。

高い税金をそのまま支払うのに怒りを覚えているため、ちょっとでもポイント還元できればと思い実行している。

支払う時にお金を準備するのも面倒くさいし、公共料金をコンビニで払うとき、後ろの客が気になる。nanacoならそんな気を遣わなくて良い僕は小市民だ。店員さんもやり易かろうそうだろう。

なので、家族の税金その他を支払っている関係上、身内の犯行説は考えにくい。

ん? 待てよ。

そういえば二日前、近所のセブンイレブンで、写真の現像にnanacoを使った気がする。

ポイントが付くと言っても微々たるものなので普段は小銭で使用するが、あの時は確か、nanacoで払ってみたはず。その時、どのタイミングでカードを取って良いか分からず、そのまましばらくカードを取らなかったような記憶がある。

だからといって僕が、先に写真を取り出し、どれどれ、どのように写ってるかなと写真をチェックしている数秒の間に、すっかりnanacoカードの存在を忘れてしまい置き忘れるという、そんな痴呆老人でもあるまいマヌケなことをする訳がない。する訳がないのだ。あなたもそう思うだろう。そうだろう。

置き忘れた、もとい手練れのスリ師(仮)に盗まれたとすれば、あの店が怪しい。そうに決まった。そうに決まっている。

待っていろ。手練れのスリ師(仮)。

僕は、その店に急いで向かうことにした。

* * *

店についた。お年を召したお姉さんの店員が二人。

「すいません。この店で二日前ぐらいに、落し物・・・もとい取得物として、nanacoカードは届いていませんか? IDはこれこれこれです」

「少々お待ちください・・・ああ、届いていないですね」

といって店員さんは、「再発行の手引き」というパンフレットのようなものをくれた。

「この電話番号にかけると、カードの停止とともに、引継ぎ番号を発行してくれます。それを教えていただければ再発行されますし、チャージしていた金額も新しいカードに引き継がれます」

「それは親切な制度ですね」

店員の目を見る。泳いでいない。ぴゅーぴゅーと白々しく口笛も吹いていない。

ここまで親切にしてくれるということは、どうやらこの店員間で僕のカードを飲み食いして使い倒した、という説はなさそうである。

やはり、手練れのスリ師(仮)の犯行であろう。

「ありがとう」

店外に出て、携帯から電話をする。

通話料有料のくせに、自動音声の説明が長い。あるあるだ。

何回かのボタン操作で、やっとオペレータに繋がる。出てきてくれたオペレーターの方が親切に応対してくれた。

「・・・はい。本人確認が取れました。残高もこれこれこれ円、現時点では残っています」

奇跡的に残高は残っていたようである。手練れのスリ師(仮)の目にも涙である。

「今、紛失されたnanacoカードを停止させることができますが、どうされますか」

紛失したのではなく、盗難された可能性が高いと言いたかったが、そこはグッと我慢して話を続ける。

「じゃ、サクッと停止してください」

「それでは停止処理をして引継ぎ番号をお伝えします。この後、明日朝の処理にてカードは使えなくなります。その後、お客様がカードを再発行する際に伝票が発行されますので、そちらと身分証明書の写しを同封してこちらへ送ってください。その後一週間程度で、新しいカードに前の残高が振り込まれます」

「ちょっと待ってください」

「なんでしょう。お客様」

「今この電話で停止処理をお願いしても、実際にnanacoカードが使えなくなるのは、明日の朝なんですね」

「左様でございますね」

「だとすると、その間に悪意ある第三者が僕のnanacoカードを使いきると、残高ゼロになるということですよね」

「左様でございますね」

「それも知らずに再発行処理をして、身分証明書の写しとか同封して送ったところで、新しいnanacoカードにはいつまでたっても前のチャージ額は振り込まれないってことですよね」

「左様でございますね」

「この再発行の処理って無駄なのでは。新しく発行した方が面倒がなくて済むのでは?」

「申し訳ございませんが、そのようなシステムとなっております」

なるほど。

nanacoのITシステムが、レジシステムからのデータ即時反映ではなく、夜間バッチ処理だからそうなるんだな、そっちの方が費用も安く済むものな、費用対効果を考えたらそれでいいんだろうな、などと職業病的に予測を立て、己を強制的に納得させた。

電話を切り、僕は奈良へと車を走らせた。

* * *

再発行の手続きを取っておこう、と思った。

無駄に終わるかもしれないが、今後も必要なので仕方がない。クレジットチャージに関してはすぐ利用可能になるということだし、全くの無駄という訳でもない。

紛失もとい、手練れのスリ師(仮)にnanacoカードを盗難されたのは大阪だったが、再発行手続きは、奈良の家の近所のセブンイレブンにした。これ以上、僕の財布を狙われてはたまらない。

再発行の引継ぎ番号を携え、近所のセブンイレブンへ赴く。

地方のセブンイレブンにありがちだが、お昼時は大盛況だ。人の切れ間のタイミングを見計らいつつ、サッとレジへ近づく。

店員さんは若いお姉さんだったので、一抹の不安を覚える。おずおずと問い合わせる。

「あの、nanacoカードの再発行手続きって分かります?」

「はい。引継ぎ番号はご存知ですか?」

あっけなく対応されてしまった。すいませんでした。アルバイトのお姉さんでは分からないだろうと店長クラスを目で探していた自分を叩きのめしてやりたい。それもこれも、大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。

「それでは、再発行処理をします。新しいカードを発行しますので、申し訳ありませんが300円いただきます」

お姉さんが申し訳ながる必要はないと思いつつ300円支払う。それもこれも大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。見つけたらぶちのめしてやりますよ、ええ。心で語りかける。

「これが必要書類になります。これに身分証明書のコピーを添えて、この封筒に入れて発送して下さい。長々とお時間取らせてしまい、申し訳ありません」

いえいえ。何をおっしゃいますか。地方のコンビニの店員は愛想が悪いとか決めつけてた僕だが、このお姉さんは素晴らしい。それもこれも大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。

「どうもありがとう。このままお店で免許証をコピーして、さっそく送っておきます」

別にお姉さんにとってはどうだっていい話を交わし、お姉さんに「ああそうっすかこっちには関係ないっすけどね」的な愛想笑いをされ、免許証のコピーを取って店を出たのであった。

* * *

翌日。封筒をポストに投函した。

これで、nanacoにチャージしていた金額が、戻ってきても戻ってこなくても仕方がない。少し、すがすがしい気持ちになれた。

手練れのスリ師(仮)の存在は、とても許しがたいものではあるが、僕も鬼ではない。

手練れのスリ師(仮)にも、家族がいるだろう。腹を空かせて子供が泣いているのかもしれない。

ほんの、出来心だったのであろう。僕のnanacoで肉まんあんまんを買い、寒くなってきたこの空のどこかで、家族だんらんで温まっているかもしれない。

罪を憎んで人を憎まず。

そう思いながら昨日のセブンイレブンに入り、いつものようにコーヒーを注文する。

店員さんがやけに僕の顔をじろじろ見ている。

ようやく、人気でも出てきたのだろうか。

いぶかしながらコーヒーを入れていると、ショートカットの店員のお姉さんが出てきた。

僕に近寄ってくる。

その手をよく見ると、燦然と輝くゴールドの私の免許証と思われるものが握られているではないか(今回からそうなりました)。

な、何故君が?!

またか・・・僕は戦慄せずにはいられなかった。

どこで、誰かが抜き取ったのだろう。手練れのスリ師(仮)は、大阪から奈良まで、この僕の後をつけてきたということになる。

恐ろしい。どこまで僕の財布を付け狙おうと言うのか。

今度は免許証と来た。個人情報の宝庫たる運転免許証を持ち出そうとし、この可愛い素朴な茶髪のショートカットの女の子が、行く手を阻み、手練れのスリ師(仮)から奪い取ってくれたに違いない。きっとそうだろう。

「お客様、もしかして免許証をお落としになっておられませんか?」

「はい?」

「この免許証、お客様のですよね?」

手に取ると、確かにそれは、僕の免許証だった。マヌケな面がやけに今日はぼやけて見える。

「ああ、多分コピーした時に取り忘れ・・・いや、紛失したのかもしれない。どうもありがとう」

感謝の気持ちだけ言って、そそくさと店を後にした。もう一人の店員さんは、昨日再発行の手続きをしてくれたお姉さんだった。

* * *

大阪の実家に帰ると、

「な・・・なんてことだ!」

さらに恐ろしい現実に、僕は直面した。

僕の机の上に、紛失したはずの、nanacoカードが置いてあったのだ。

手練れのスリ師(仮)は、年老いた父親が一人で住んでいることを良いことに、無防備な大阪の実家に忍び込み、あざ笑うかのごとく僕のnanacoカードを放置して行ったということになる。

怖い。恐ろしい。

ちくしょう、ちくしょう! どんどんどん!(壁を叩く音)

どこかで手練れのスリ師(仮)の高笑いが聞こえてくるようだ。

結局僕は、奴の手のひらの中で踊らされていただけだったのだ。

停止処理をしていたため、この手元のnanacoカードは、もう使えない。

アルバイトのお姉さんに再発行してもらったnanacoカードだけが、僕の財布の中にあるだけだ。

僕は、真っ暗になった部屋で一人、絶望の念にかられた。

 

ああ・・・怖い。

恐ろしい。

何が恐ろしいって。

自分の脳の老化が、何よりも恐ろしい。

 

おあとがよろしいのかどうかは、ちょっと今の僕には判断できない。

「さよなら」を言わないで。

僕の娘は、「さよなら」を言わない。

* * *

先日の稲刈りで、一年ぶりに僕の友人二人が手伝いに来てくれた。娘は一年前の稲刈りの後、家で一緒に遊んでくれたこのおじさん二人が好きで、この日を楽しみにしていた。

覚えたてのオセロを地頭のいい友人にスパルタで教えてもらったり(最後には勝たせていたところが優しい)。ワニワニさんの神経衰弱で、記憶力の激烈に衰えた大人三人を相手に、5歳児が健闘したり(本気でやって、本気で悔しがりました)。

そろそろ帰るわ、という段階になって、急激に泣き顔になる。

「ほら、ちゃんと『さよなら』言いな」

父ちゃんに抱っこされて友人たちの車を見送りに行くが、娘はぷいと横を向いて、相手の顔を見ようとしない。

「ばいばーい!」

「また来るわなー!」

「ほら。きちんと、『さよなら』言いなさい」

おじさんたちが必死に元気よく振る舞うものの、僕のTシャツの袖を握って離さない。顔を胸にうずめたまま、泣くのを必死にこらえている。

頑として、相手の顔も見ない。

「さよなら」を、決して言わない。

大人たちは、そこまでして自分たちの別れを惜しんで泣いてくれる娘に、少し感動しながら帰って行った。

「もう行ってしもたで」

「・・・」

「おじさんたち、おらんようなって寂しいな」

「・・・(頷く)」

「お風呂屋さん、行こうか」

「・・・(悩む)」

「今日は特別に、父ちゃんと入ってもええぞ」

「・・・行く」

娘は、「さよなら」を言わずに、今まで生きてきた。

「さよなら」を言うのは嫌だ、と公言してはばからない。

「さよなら」の代わりに、体全身で「さよなら」を拒否することで、己の想いを相手に伝えてきた。

それはきっと、僕のせいなのだ。

* * *

人間という生き物は、別れの多い人生を送る。

「さよならだけが人生だ」という言葉もある。

出会いがあるだけ、別れを経験する。その出会いが軽いものだろうと、重いものだろうと、短いものであろうと、長いものであろうと。死ぬ瞬間には、一人になる運命にある。

親兄弟であろうとも、夫婦であろうとも、子供であろうとも、いつか必ず、別れる時は来る。

僕も、それなりの「別れ」を経験しながら生きてきた。

相手が「さよなら」を受け入れられない時、嘘を突き通し、自分が悪人になり、「さよなら」を相手に押し付けたこともあった。当時は若く、それが相手の為だと、信じて疑わなかった。

どうせ辛い別れが来るならば、いっそ会わない方が良いなどと、決まってもいない未来を恐れ、愚かなことを考えてしまうのも。

僕らがどうしようもなく、弱い人間だからだ。

 

「さよなら」を言えないまま、唐突に別れを突きつけられる時もある。

母は、意識が突然飛んだ後、一時間の集中治療の後に息絶えた。「さよなら」は勿論、「ありがとう」も言う暇はなかった。

棺の中の母には形式的に別れを告げたが、何度言っても自分の中でぐるぐる回って、外に出て行かなかった。「さよなら」の感触がない。母が聞いたわけでもない。母に届いたわけでもない。

それは自分に向けた言葉だったからだろう。自分が相手への別れを受け入れなければ、一人で言う「さよなら」は、自分の中をぐるぐると果てもなく、さまようしかない。

相手はもういない。別れを決意したことも自分次第ならば、別れを惜しむのも自分次第だ。

しかし、人はそんなに強く、割り切れるものではない。

* * *

昔、仕事場のお客さんに仲良くしてもらっていた。

Nさんと言った。

仕事をリタイアしてからの再雇用。いつも笑顔が大変素敵な方だった。僕らのような業者にも頭を下げ、暗い雰囲気になると人一倍明るく振る舞っていた。沢山、周囲に気を使っていたのだと思う。

こういう風に、年を取れたらいいなと思っていた。

昼休憩のとき、その方と一緒に弁当を食べ、雑談をしていたときのこと。当時奈良の明日香村に住んでいた僕は、その方が奈良の端の村出身だと聞いた。行ったことがありますと言うと大層驚かれ、今はもう実家もなくなり、帰ることのない故郷の話をしてくれた。

「親不孝を沢山した」

僕につぶやいた。

一年前にご母堂が鬼籍に入り、まだ骨壺を家に置いてあると、僕に告白した。

「情けない話なんやけど。どうしても、納骨できへん」

「いいじゃないですか」

「いや、女々しいやん。ええ年したおっさんが。それは自分でも分かってるねんけど・・・」

「いや、骨を絶対墓に納めなけりゃならないなんて、決まりはないです。宗教の取り決めで苦しむなら、心を救済すべき宗教の本末転倒も甚だしい。それこそ葬式仏教です。忘れるために、無理やりしたくない別れをするなんて、馬鹿げてますよ」

「そうなんかなあ」

「他人がなんと言おうが、みっともないと思おうが、自分にとって大切で必要なのであれば、気が済むまで一緒にいてあげて下さい。お母さんも、絶対その方が喜ぶと思います」

「嬉しいなあ・・・そう言ってくれて」

昼休み中とはいえ、仕事場の片隅で。Nさんは、ぽろぽろと泣き出した。

――親不孝ばかりしてきた。

Nさんは、また繰り返す。

「若い時分に働きに大阪に出てきて。村の実家にもろくに帰らずに。帰った時はお母ちゃんが死んだときで、死に目にも会えへんかった。どうしてもっと会いに帰らんかったんやろかって。どうしてもっと優しくせぇへんかったんやろかって、通夜の間も葬式の間もずっと後悔してた。骨壺を家の仏壇に置いたまま、毎日、お母ちゃん御免な、堪忍なって・・・」

――そうしたらな。

おかあちゃんと一緒にいてる気になれるねん。心安らぐねん。

女房は早くお墓に入れてあげてって言うねんけど・・・。

「もう少しだけ、お母ちゃんと一緒にいてええんかな」

Nさんがそう言ったので。

「一緒にいてあげて下さい」

僕は、目をそらさずに断言した。

――辛いだけの「さよなら」なんて。

言わない方が、絶対にいいんです。

* * *

さよならだけが人生ならば

また来る春は 何だろう

はるかなはるかな 地の果てに

咲いている野の百合 何だろう

さよならだけが人生ならば

めぐり会う日は 何だろう

やさしいやさしい 夕焼と

ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが人生ならば

建てた我が家 何だろう

さみしいさみしい 平原に

ともす灯りは 何だろう

さよならだけが人生ならば

人生なんか いりません

寺山修司 「幸福が遠すぎたら」

* * *

よりどころのない言葉に振り回されながら、生きていた頃。

寺山修司の言の葉に、救われてきた。

「さよなら」だけの人生ならば。

生きてる意味など、ないのだと教えてくれた。

そんな寺山修司の死んだ年齢と、同じになった。

僕は、まだ死ねない。

 

僕たちは、「さよなら」するために、生きている訳じゃない。

巡り合うために、生きている。

泥臭くても、卑怯でも、なさけなくても。

大切な、人と人とのつながりを握りしめながら、生きている。

手を放すと決めるのも自分自身ならば、掴み取ると決めるのも自分自身だ。他人や社会や宗教や法律が決めることじゃなく。

自分が決めることだ。

「もう会えない」と決るのも自分なら。

「また会える」と決めるのも。

 

でも人は、いつも強い訳じゃない。弱い時は、存分に助けてもらえばいい。

日常の隙間にスッと開いた弱気を、Nさんが僕に打ち明けたように。

僕も自分の心に潜む弱気を、すくい取ってくれる人々がいるから、生きながらえている。

 

「さよなら」を、言わないで。

 

お別れしたくない、と必死に何かにしがみつく方が、人間臭くて僕は好きだ。

そんなことを、自分の娘に教えてもらった。

二度と会えないと分かったときは。

くしゃくしゃにみっともなく泣き腫らして、嫌だ嫌だと聞き分けもなく叫ぶ、往生際の悪い、人間でありたい。

二度と会えないと分かっていても。

「また絶対会おう」と、笑顔で強がることができる、人間でいたい。

* * *

「おい娘」

「なに父ちゃん」

「小さいころ、仕事で大阪へ帰る父ちゃんを、朝になったら足にしがみついて、『帰らんといてー』って泣いてたな」

「うん」

「最近、泣き叫ぶことはなくなったな」

「うん」

「平気になったんか?」

「もうお姉ちゃんやから。平気になった」

「ほな、今日帰っていいか」

「あかん。帰らんといて」

「泣かんだけやな。でも、帰らんと絵本借りてくることができへんねんけどな」

「うーん。じゃ帰っていい」

「新しい絵本は、読みたいねんな」

「読みたい」

「ほな、帰るわ」

「あかん」

(ふり出しに戻る)

そんな会話を繰り返しながら。

「さよなら」を言わない娘がいて。

「また来るわ」と娘の頭をなでる僕がいて。

冷めた目で猫が僕をじろりと見つめる。

 

「さよなら」を言わなくても。

日常は好き勝手にまわっていく。

僕らが何をどう考えても、なるようにしかならないと言うのならば。

友よ。

巡り会えた運命にひたすら感謝して、ただ目の前の日々を、生きようではないか。

* * *

僕の娘は、「さよなら」を言わない。

そんな自分の娘を、だから僕は尊敬している。

歩いて帰ろう。

「はっしるまちを、みっおっろしてっ!」

保育園の運動会の入場ソングで、斉藤和義の『歩いて帰ろう』がかかっていた。

「・・・何で、斉藤和義かかってるんでしょうね?」

「さあ・・・」

斎藤さん本人が歌っているのではなく、そこは保育園なので、小さい女の子が数人で元気よくカバーして歌っている。

それは良いとしても、「この歌詞を女の子に元気よく歌われても」感がぬぐえない。小雨降る中強行開催された運動会に、とても似つかわしくない。

「いっそぐひとにあやつられっ! みっぎもひだりも、おーなーじーかおっ!」

「・・・」

JASなんとかさんが怖いのでこれ以上書かないが、気になる方はネットで調べて欲しい。

斎藤さんとしてもこの歌詞の意味は、毎日生き急いでいる人に、「それは仕方がないとしても、たまにはゆっくり生きてみようぜ」という投げかけのはずである。歌詞中の「今日は」という点は、「生き急ぐことを否定していない」言葉となり、「僕は」という点が、「他人にそれを押し付けない」言葉となる。

年端も行かない女の子に「生き急ぐな」という曲を元気よく歌わせるのもどうかと思うが、それを保育園児の運動会で入場ソングとして聞かされるのもまた乙な違和感がある。

何てったって、彼ら彼女らは、放っておいても生き急いでしまうものであり、その中から急速に経験を取捨選択して成長する生物なのだから。

おじさんはそう思うがいかがか。

* * *

もうすぐ長年通っていた保育園(正確にはこども園)を卒園し、娘は来年から小学校へ通う。

毎年この運動会に参加しては、超絶恥ずかしがり屋の娘に赤っ恥をかかされてきた。

親子ダンスに参加しては父ちゃんと手を繋ぐのを拒否。大泣きしている娘をあやすことを二年繰り返す。

年長さん最後の年は、目玉の親子リレーというものがあるらしい。保育園児チームと、その親のチームで対抗リレーを行うというもの。ハンデ付き対抗形式を取るものの、一応走る順番は一緒ということらしい。結構盛り上がるので、目玉競技になっているそうな。

それに出ろという。

「・・・父ちゃんは、お前に二年連続で泣きわめかれて、恥をかいています。なのでもう出たくないです」

「嫌ー! 父ちゃん出てー!」

「毎年そうやって出ろと言うけど、いっつも泣きわめくやないか!」

「今年は泣かないー!」

「信用できるか―!」

そうは言っても出ないという選択肢はないのが、娘を持つ父親の辛いところ(分かっていただけると思うが)。

娘は走るのが遅い。

脚力はあるが、短距離走向きではないようで、毎年かけっこは最後の方だ。父親と同じで、長距離向きなのだろう。

来月の地元のマラソン大会に備えて、減量とトレーニングを重ねている僕ではあるが、短距離を走ると死ぬほど息が切れる上に、最後の方で足が上がらなくなる。

 

運動会当日。

娘が出ていない時は現場を抜けて、近くの道路わきで走ってみた。息が切れる。やばい。どうしよう。やっぱ参加しなけりゃ良かった。

「親子リレー参加の父兄は、入場門まで集合して下さい」

場内放送が鳴る。

入場門前に行くと、園児は一列に並び、父兄がその横に並ぶ。

娘を見つけて近付くと、いつもの様に恥ずかしがった後、ぷいと横を向く。横を向くものの、泣き出したりはせずにおとなしくしているのは成長の跡か。

「おっちゃん、前に見たことあるー」

後ろの女の子が僕に声をかけてくる。

「お迎えとかで見たことあるんかな? 今日はおっちゃん、負けへんでぇー」

はははと娘の後ろの子が笑うことで、娘も少し笑顔になった。

 

親子リレーの形式は、父兄がトラックの外周を走り、園児は内周を走る。それしきのハンデで成り立つのか? と思って後ろのお父さんに聞いてみる。

「あのー、よく分からないんですけど、これって本気で走って良いんですか?」

「いや、去年のを見てると、良い塩梅に調整しながら走るみたいです。園児が速かったら負けないように、遅かったら来るまでゆっくり、みたいな」

「はあ。良い塩梅に」

「お父さんだけじゃなく、お母さんも混じってますからね。最後には速い子が揃ってるので、良い勝負になるって感じです」

なかなか難しい戦いである。ウォーミングアップして汗をかいているのはどうやら自分だけみたいで少し恥ずかしい。

僕と娘は6番目で、すぐに出番は回ってきた。

バトンを受け取る。

とりあえず半周くらいは全力で走ってみて、娘が来るのを見て調整してみようと思った。

トラックの途中まで来て振り返る。

娘が大泣きしながら走っていた。

僕は振り返り、歩を緩め、立ち止まって、苦笑いするしかなかった。

「な、何泣いてるの!」

手を差し出しても、娘は振り払う。かくして僕ら親子は、大泣きする娘に並走する形で、同時に次のランナーにバトンを渡した。

「イヤー!」

「何で泣くねんな!」

嫌がる娘を抱っこして担ぎ、「よく頑張って走ったな!」と、ねぎらいの言葉をかけつつ、内心では「泣き止んでくれー、恥かかせないでくれー」と祈っていた。保育園の先生も、「よく走ったね」と娘の頭をなでてくれた。

最終的には、大人の手加減ミスで、子供に負けるというのが、毎年の恒例のようで、今年も同じ結果となった。

それを見て、娘は大喜び。

かくして今年は、それほど大恥をかかずに済んだ。

大泣きしながら走る娘と、苦笑いしながら、同じ速度でゆっくり伴走する父親。

他にそんな親子いなかったので、とりあえず観衆への見せ場は作れたと思われる娘の最後の運動会は、こうして幕を閉じた。

* * *

「あのね」

「何?」

「何でもない」

そういう会話をされたとき、若い頃なら、相手を問いただしていただろう。相手が自分に言うことを隠している。相手に信用されていない。そう思いながら、相手が何を言いたいのかを、聞き出そうとやっきになっていた。

そうやって無理やり聞き出した「言葉」は、その人の本当の気持ちではないかもしれない。そういうことに、当時は気付けずにいた。

その人の心の内に浮かび上がった沢山の「感情」は、「言葉」に置き換えるのに時間がかかるのかもしれない。「言葉」に置き換えてみたら、矛盾していてとても使えたものではないかもしれない。矛盾しているから、その人は恣意的に「言葉」を捻じ曲げるかもしれない。

捻じ曲げた「言葉」は、自分の気持ちとズレているから、不安定かもしれない。不安定な言葉を、自分の気持ちとして用いたくは、ないのかもしれない。

急かして引き出した言葉は、そんな時、果たしてその人の本当の気持ちを言い表せているのだろうか。

「好き」と「嫌い」という言葉は、時に同居するものだ。

感情をすべて、「言葉」にできないから、人は泣いたり笑ったり、怒ったり。振り向いたり、立ち止まったりするのだろう。

今は、それでいい。

言葉がいつの日か浮かび上がり、その人が「自分の気持ちはこの言葉だ」と思えた時に、言えばいい。

もしくは日々の忙しい喧騒の中に、埋もれて消えてしまっても、別に構わない。

そう思えるようになったのは、年を取ったからだろう。

 

娘はあの時、どうして泣き出したのだろうか。

 

「とうちゃーーーん!」

一足先に家に帰っていた僕に、娘が満面の笑顔でタックルをかましてくる。

相変わらずの内弁慶。血統がそうさせるのだろうか。

「なあ。何であの時、泣いたの?」

「んー」

「父ちゃんが、先に走って行って、悔しかったの?」

「うん」

「それとも、先に行ってしまって、寂しかったの?」

「うん」

「どっちやねん」

「よう分からん」

「よう分からんか。それなら、それでええか」

彼女は、泣きたかったのだ。

走りながら、色々な感情が沸いて、泣いたのだ。

それがすべてである。

僕ができたことは。

立ち止まって。振り向いて。歩を緩めること。

ゴールした後に嫌がっているけど抱きかかえ、笑いかけ、勇気付けること。

娘が泣き止むまでに、保育園の先生が褒めてくれたり、友達が近寄ってきてくれたり、みんなで勝利したり、周囲の助力があってのこと。

彼女が泣き止んで笑ったのも、色々な感情が沸いてのこと。

つまりはまあ、そういうことなのだ。

 

疲れたり、焦ったり、とまっどたり、うまくいかないときは。

「歩いていこう」と、自分にとりあえず言い聞かせる。

歩幅が違うなら、どちらかがあわせればいい。

答えはきっと一番でゴールすることじゃないんだと、知ってさえいれば。

いつかは、笑える日が来るように、きっと世の中はできている。