今回は、現代社会の闇に潜む、僕が遭遇した「恐ろしい話」を書いてみようと思う。
* * *
nanaco というポイント制度をご存じだろうか(まあご存じと思うが)。
セブン&アイホールディングス傘下のポイント制度で、主にセブンイレブンでいい気分になるために開始されたものである。
10月22日の日曜日だったと思う。
朝、いつものようにセブンイレブンのコーヒーを買おうと思ったら、手持ちのnanacoカードが財布に入っていなかった。
(お・・・俺の財布から、nanacoカードを盗んだ奴がいる?!)
いつの間に盗まれたのだろう。おそらく手練れのスリ師(仮)の犯行だろう。とっさにそう確信せざるを得なかった。
わざわざセブンイレブンを使っているのは、税金・公共料金その他の支払いでポイントがつくのが、nanaco支払いのみだからだ。
クレジットカードからnanacoにチャージする際、クレジットポイントが発生する。支払い時にはポイントは付かないものの、ちりも積もれば山となって、一年間で結構な額がポイントとしてもらえる(なのでnanacoポイントが貯まる訳ではない)。
高い税金をそのまま支払うのに怒りを覚えているため、ちょっとでもポイント還元できればと思い実行している。
支払う時にお金を準備するのも面倒くさいし、公共料金をコンビニで払うとき、後ろの客が気になる。nanacoならそんな気を遣わなくて良い僕は小市民だ。店員さんもやり易かろうそうだろう。
なので、家族の税金その他を支払っている関係上、身内の犯行説は考えにくい。
ん? 待てよ。
そういえば二日前、近所のセブンイレブンで、写真の現像にnanacoを使った気がする。
ポイントが付くと言っても微々たるものなので普段は小銭で使用するが、あの時は確か、nanacoで払ってみたはず。その時、どのタイミングでカードを取って良いか分からず、そのまましばらくカードを取らなかったような記憶がある。
だからといって僕が、先に写真を取り出し、どれどれ、どのように写ってるかなと写真をチェックしている数秒の間に、すっかりnanacoカードの存在を忘れてしまい置き忘れるという、そんな痴呆老人でもあるまいマヌケなことをする訳がない。する訳がないのだ。あなたもそう思うだろう。そうだろう。
置き忘れた、もとい手練れのスリ師(仮)に盗まれたとすれば、あの店が怪しい。そうに決まった。そうに決まっている。
待っていろ。手練れのスリ師(仮)。
僕は、その店に急いで向かうことにした。
* * *
店についた。お年を召したお姉さんの店員が二人。
「すいません。この店で二日前ぐらいに、落し物・・・もとい取得物として、nanacoカードは届いていませんか? IDはこれこれこれです」
「少々お待ちください・・・ああ、届いていないですね」
といって店員さんは、「再発行の手引き」というパンフレットのようなものをくれた。
「この電話番号にかけると、カードの停止とともに、引継ぎ番号を発行してくれます。それを教えていただければ再発行されますし、チャージしていた金額も新しいカードに引き継がれます」
「それは親切な制度ですね」
店員の目を見る。泳いでいない。ぴゅーぴゅーと白々しく口笛も吹いていない。
ここまで親切にしてくれるということは、どうやらこの店員間で僕のカードを飲み食いして使い倒した、という説はなさそうである。
やはり、手練れのスリ師(仮)の犯行であろう。
「ありがとう」
店外に出て、携帯から電話をする。
通話料有料のくせに、自動音声の説明が長い。あるあるだ。
何回かのボタン操作で、やっとオペレータに繋がる。出てきてくれたオペレーターの方が親切に応対してくれた。
「・・・はい。本人確認が取れました。残高もこれこれこれ円、現時点では残っています」
奇跡的に残高は残っていたようである。手練れのスリ師(仮)の目にも涙である。
「今、紛失されたnanacoカードを停止させることができますが、どうされますか」
紛失したのではなく、盗難された可能性が高いと言いたかったが、そこはグッと我慢して話を続ける。
「じゃ、サクッと停止してください」
「それでは停止処理をして引継ぎ番号をお伝えします。この後、明日朝の処理にてカードは使えなくなります。その後、お客様がカードを再発行する際に伝票が発行されますので、そちらと身分証明書の写しを同封してこちらへ送ってください。その後一週間程度で、新しいカードに前の残高が振り込まれます」
「ちょっと待ってください」
「なんでしょう。お客様」
「今この電話で停止処理をお願いしても、実際にnanacoカードが使えなくなるのは、明日の朝なんですね」
「左様でございますね」
「だとすると、その間に悪意ある第三者が僕のnanacoカードを使いきると、残高ゼロになるということですよね」
「左様でございますね」
「それも知らずに再発行処理をして、身分証明書の写しとか同封して送ったところで、新しいnanacoカードにはいつまでたっても前のチャージ額は振り込まれないってことですよね」
「左様でございますね」
「この再発行の処理って無駄なのでは。新しく発行した方が面倒がなくて済むのでは?」
「申し訳ございませんが、そのようなシステムとなっております」
なるほど。
nanacoのITシステムが、レジシステムからのデータ即時反映ではなく、夜間バッチ処理だからそうなるんだな、そっちの方が費用も安く済むものな、費用対効果を考えたらそれでいいんだろうな、などと職業病的に予測を立て、己を強制的に納得させた。
電話を切り、僕は奈良へと車を走らせた。
* * *
再発行の手続きを取っておこう、と思った。
無駄に終わるかもしれないが、今後も必要なので仕方がない。クレジットチャージに関してはすぐ利用可能になるということだし、全くの無駄という訳でもない。
紛失もとい、手練れのスリ師(仮)にnanacoカードを盗難されたのは大阪だったが、再発行手続きは、奈良の家の近所のセブンイレブンにした。これ以上、僕の財布を狙われてはたまらない。
再発行の引継ぎ番号を携え、近所のセブンイレブンへ赴く。
地方のセブンイレブンにありがちだが、お昼時は大盛況だ。人の切れ間のタイミングを見計らいつつ、サッとレジへ近づく。
店員さんは若いお姉さんだったので、一抹の不安を覚える。おずおずと問い合わせる。
「あの、nanacoカードの再発行手続きって分かります?」
「はい。引継ぎ番号はご存知ですか?」
あっけなく対応されてしまった。すいませんでした。アルバイトのお姉さんでは分からないだろうと店長クラスを目で探していた自分を叩きのめしてやりたい。それもこれも、大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。
「それでは、再発行処理をします。新しいカードを発行しますので、申し訳ありませんが300円いただきます」
お姉さんが申し訳ながる必要はないと思いつつ300円支払う。それもこれも大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。見つけたらぶちのめしてやりますよ、ええ。心で語りかける。
「これが必要書類になります。これに身分証明書のコピーを添えて、この封筒に入れて発送して下さい。長々とお時間取らせてしまい、申し訳ありません」
いえいえ。何をおっしゃいますか。地方のコンビニの店員は愛想が悪いとか決めつけてた僕だが、このお姉さんは素晴らしい。それもこれも大阪の手練れのスリ師(仮)が悪いのだ。
「どうもありがとう。このままお店で免許証をコピーして、さっそく送っておきます」
別にお姉さんにとってはどうだっていい話を交わし、お姉さんに「ああそうっすかこっちには関係ないっすけどね」的な愛想笑いをされ、免許証のコピーを取って店を出たのであった。
* * *
翌日。封筒をポストに投函した。
これで、nanacoにチャージしていた金額が、戻ってきても戻ってこなくても仕方がない。少し、すがすがしい気持ちになれた。
手練れのスリ師(仮)の存在は、とても許しがたいものではあるが、僕も鬼ではない。
手練れのスリ師(仮)にも、家族がいるだろう。腹を空かせて子供が泣いているのかもしれない。
ほんの、出来心だったのであろう。僕のnanacoで肉まんあんまんを買い、寒くなってきたこの空のどこかで、家族だんらんで温まっているかもしれない。
罪を憎んで人を憎まず。
そう思いながら昨日のセブンイレブンに入り、いつものようにコーヒーを注文する。
店員さんがやけに僕の顔をじろじろ見ている。
ようやく、人気でも出てきたのだろうか。
いぶかしながらコーヒーを入れていると、ショートカットの店員のお姉さんが出てきた。
僕に近寄ってくる。
その手をよく見ると、燦然と輝くゴールドの私の免許証と思われるものが握られているではないか(今回からそうなりました)。
な、何故君が?!
またか・・・僕は戦慄せずにはいられなかった。
どこで、誰かが抜き取ったのだろう。手練れのスリ師(仮)は、大阪から奈良まで、この僕の後をつけてきたということになる。
恐ろしい。どこまで僕の財布を付け狙おうと言うのか。
今度は免許証と来た。個人情報の宝庫たる運転免許証を持ち出そうとし、この可愛い素朴な茶髪のショートカットの女の子が、行く手を阻み、手練れのスリ師(仮)から奪い取ってくれたに違いない。きっとそうだろう。
「お客様、もしかして免許証をお落としになっておられませんか?」
「はい?」
「この免許証、お客様のですよね?」
手に取ると、確かにそれは、僕の免許証だった。マヌケな面がやけに今日はぼやけて見える。
「ああ、多分コピーした時に取り忘れ・・・いや、紛失したのかもしれない。どうもありがとう」
感謝の気持ちだけ言って、そそくさと店を後にした。もう一人の店員さんは、昨日再発行の手続きをしてくれたお姉さんだった。
* * *
大阪の実家に帰ると、
「な・・・なんてことだ!」
さらに恐ろしい現実に、僕は直面した。
僕の机の上に、紛失したはずの、nanacoカードが置いてあったのだ。
手練れのスリ師(仮)は、年老いた父親が一人で住んでいることを良いことに、無防備な大阪の実家に忍び込み、あざ笑うかのごとく僕のnanacoカードを放置して行ったということになる。
怖い。恐ろしい。
ちくしょう、ちくしょう! どんどんどん!(壁を叩く音)
どこかで手練れのスリ師(仮)の高笑いが聞こえてくるようだ。
結局僕は、奴の手のひらの中で踊らされていただけだったのだ。
停止処理をしていたため、この手元のnanacoカードは、もう使えない。
アルバイトのお姉さんに再発行してもらったnanacoカードだけが、僕の財布の中にあるだけだ。
僕は、真っ暗になった部屋で一人、絶望の念にかられた。
ああ・・・怖い。
恐ろしい。
何が恐ろしいって。
自分の脳の老化が、何よりも恐ろしい。
おあとがよろしいのかどうかは、ちょっと今の僕には判断できない。