6歳の娘と父ちゃんのやせ我慢。

娘が、6歳になった。

娘にとって僕は「父ちゃん」という役割だが、唯一無二のその役割を6年間全うしてきたことになる。飽き性の自分からすると、よく続いたものだと思わざるを得ないなどと、一年前の焼き直しでお茶を濁すところからこの話は始まる。

6歳と言えば、四月から小学生だ。

一年前、父ちゃんのふくらはぎには「8さいまで」座ると宣言していた娘。だが、先日もう一度聞くと「12さいまで」と勝手に意見が変わっていた。

1.5倍である。おおよそ、ラーメン屋で大盛りを頼む麺の量と同じだ。そう、大体において大盛りは、2倍の量を食べられる訳ではない。

などという話がしたい訳ではない。話を進める。

「こないだまでは、8さいまでって言うてたやん」

「いいの。12さいまで」

「ていうか、小学校入るんやし、もう6さいでお膝座るの卒業してみたら?」

「嫌。12さいまで」

「さすがに12さいまでお膝に座るのは、あかんやろ」

そう娘を諭すと、

「この間○○ちゃん、父ちゃんのお膝に座ってたやんか」

○○ちゃんとは、兄の娘だ。つまり僕の姪であり、娘の従妹である。

姪っ子は、小学6年生の女子だ。叔父である僕を、赤子時代のあだ名で呼ぶ。赤子時代のあだ名で僕を呼ぶのは、齢80を越えた親戚の叔父叔母と、この姪っ子だけだ。面白がって呼んでいる内に定着したらしい。

何故か僕に懐いている。そのため、会うと身軽に背中にしがみついてきておんぶさせられたり、あれやってこれやってあれちょうだいこれちょうだいと、Sっ気全開で自由気ままに命令してくる。

年明けに公園で皆一緒に遊んでいたとき、姪っ子が疲れたと言って僕の膝に座ってきた。背が高いので前が見えない。

「重い。○○ちゃんどいて」

「嫌」

「どけー!」

「キャハハ! 嫌ったら嫌ー!」

娘はその様子を見ていたのだ。

つまり、姪っ子が僕の膝の上に乗っていたのだから、「自分も○○ちゃんと同じ年までは父ちゃんの膝に座る権利がある」と、こう主張している訳である。

「父ちゃんは『重いからどいてくれ!』って頼んでたやん。でも○○ちゃん、『嫌や』言うてキャッキャ喜んで、父ちゃんを困らせてたやろ?」

「うん」

「座りたかった訳やなくて、父ちゃんをからかってただけなんやで」

「いいの。12歳まで座るの」

姪っ子は、立派にSっ気全開に育ったのだが、娘には今一つSっ気がない。特に大勢の「他人」がいる集合体の中では、全くといっていいほどSっ気を出さない。

内弁慶である。

父ちゃんにだけは、安心してSっ気を出す。それでも、お姉ちゃんである姪っ子が僕にSっ気を出している間、大人しく自分のSっ気を引っ込めている。

滑り台の順番を、上で並んで待つ子のように。

「自分の番ではない」と待てるようになった。長きにわたった保育園での集団生活のたまものかなと思う。女の子は、男の子より早く大人になる。しみじみ思う。

その分きっと、沢山傷付くのだろう。世の男の子は、そういう女の子を守るためにいてあげて欲しい。

「年頃の女の子」というのは、こうやって大人の階段を上るのだろう。少女だったと懐かしく、思う時が来るのだろう。

* * *

2年ほど前。

「抱っこして―」と抱きついてきたときに娘が、

「父ちゃん、重くない?」

と言ってきたことがあった。

「ああ。重くなった。お姉ちゃんになったな。もう父ちゃん、抱っこできへんようになるかもしれへんわー」

冗談でそう言ったのだが、娘は悲しそうな顔をしていた。

後で奥さんに話を聞くと、保育園でおともだちから、体格の事でからかわれたのだという。遠い目で、「ダイエットしようかなあ」と言っていたそうだ。

娘は早生まれだが、体が同年代の子より大きい。男の子と比べても大きい。遺伝による問題なので、娘に責任は一切なく、血筋のせいであり、つまるところ僕のせいでもあると言える。

軽口を後悔した僕は、次回より娘を抱っこした時は、

「めっちゃ軽いな!」

と、やせ我慢をするようになった。

「本当? 重くない?」

「おう、楽勝や。全然重くないぞ。もっと飯食え」

筋トレをしているときは本当に重さを感じなかったものだが、最近はさぼっているせいかズッシリと両腕に響くようになった。

 

6歳になり。

最近は、あまりそれも言わなくなってきた。

そもそも抱っこを、あまりねだらなくなってきた。

それでも忘れた頃に抱っこをねだり、「父ちゃん、重くないか?」と聞く時がある。偉いもので、「重くない!」と条件反射で口から言葉が出る。

抱き上げた人が重いかどうかは、その人の主観だ。僕は娘に、嘘をついている訳ではない。

娘がどう思おうが、それは構わない。

この先、何年たっても。仮に娘が肥満になって本当に重くなったとしても。

僕は死ぬまで、娘を「重くない」と言い続ける。言い続けて、仮に持ちあがらなくても、死ぬ気で担ぎ上げるだろう。

それが、娘を持つ父親の役割だと思うのだ。

さぼっていた筋トレを、また再開しなければならない。