週末。車で家に帰るのが遅くなる時がある。
そういうとき、夕飯は外で食べることが多い。
「夜遅く」と言っても、午後九時過ぎ。それでも家の周辺に開いてる飲食店はほぼない。仕方がないので、コンビニで弁当を買って帰ることもある。とはいえ、コンビニは日本全国どこでも同じものが食べられるので、出来る限りは避けたい。
関西一円には、王将という中華料理チェーンがあって、結構夜遅くまで開いている。日が変わるまで開いていたり、日が変わっても開いていたりする。
チェーン店というくくりでは同じものをどこでも食べられるという点でコンビニと同じなのだけど、王将には直営店とフランチャイズがあって、後者は独自のメニューを出していたり、味が違っていたりする。王将も今やほとんどが本部主導の直営店となり、個人店主が切り盛りするフランチャイズ店は見つけるのも困難になった。
うちの近所の王将は、地方だからか珍しくフランチャイズだ。なので、ご飯の大盛りが日本昔話に出てくるような山盛りだったり(味が今一なのだけど)、産地だからか知らないけど野菜がたっぷり入っていたりする。微妙に嬉しい気持ちにさせてくれるので、そんなに王将へは行かない人だけど、ここへは時々行くようにしている。
冬のすごく寒い日。道路が凍結している時期。十時まで開いている温泉施設で疲れを洗い流し、温める。ほっこり気分でくだんの王将に入る(何度も言うが、近所でそこしか開いてないのだ)。
頼むのは、最近はほぼ「スタミナラーメンセット」。お腹が極限まで減っているときは、ご飯をプラス50円で大盛りにしてしまう。
スタミナラーメンは、奈良のご当地メニューで、白菜と豚肉とニラが入っていて、ピリリと辛いスープに細めの中華麺。ただここのスタミナラーメンは人参も入っており、野菜炒めのようになっている。そこに更にラー油を少し垂らして食す。
それに名物の餃子が一人前付いてくる。こちらは、ラーメンの味が辛いので、お酢だけで食べる。餃子にそもそも下味が付いているので大丈夫(何が大丈夫なのだろうか)。
あとは白ご飯。炒飯ではだめ。白ご飯。
辛いスープでご飯が進む。時々餃子をほおばっては、再度スープで流し込む。麺でご飯を食べるのではなく、どちらかと言えば辛いスープと餃子で、白ご飯をパクパク食べている感じである。
辛いし、炭水化物ばかりだし、ニンニク入ってるしで、どう割り引いても寝る前に食べる食事ではない。そういう訳で、お腹が減っていてどうしても食べたい時にだけ、頼むようにしたい。けれど、いけないとは思いつつ、つい頼んでしまう。
悲しい人間の性だ。
* * *
つい最近まで、極限まで精神的に追い詰められていた。そんな出来事が、身辺に起こっていた。
他人の悪意をぶつけられ、その影響範囲が家庭にまで及びつつあった。
性格的に自分は、涼しい顔をして受け流せるだけの器がない。不安をどんぶり一杯山盛りにして、毎日を生きていた。
時間にすれば一週間とちょっと。振り返って他人が聞けば、「何だそんなことで」と一笑に付すのかもしれないけれど。当事者である僕は、ノイローゼ寸前の状態まで追い込まれ、仕事中何も手につかず、現場へ多大な迷惑をかけてしまっていた。入院していた父親の看病も、ままならなくなってしまった。
周囲へかかる迷惑を考え、家庭にとって最悪の選択をする、寸前まで行った。
色々な人の助けを借り、ある日、その出来事は収束に向かった。
張りつめたものから少し解放され、ろくに眠ることもできず睡眠不足に陥っていた僕は、朝日が差し込む部屋で一人嗚咽を漏らしながら泣いた。
情けなさと、恥ずかしさと、嬉しさと、安堵感と、色々な感情が一気に押し寄せてきて、頭の中で何かが切れた。
朝日が眩しくなかったら、泣かなかったかもしれない。
その期間。週末家に車で帰ったとき。一睡もすることができず、一日何も食べることができなかった。
温泉施設に入り、ぼーっとした頭で、いつもの王将に入った。
何も食べたくなかった。ずーっとメニューを見ていたが、何も考えられなかった。でも、いつものスタミナラーメンセットを注文していた。ご飯は大盛りにはできなかった。
食欲はない。でも何か胃袋に押し込まないと、気力で負けてしまう気がした。「スタミナラーメンセット」を食べれば、本当にスタミナがついて元気になると、本気で思っていた訳ではない。
僕はきっと、いつもの「日常」を取り戻したかったのだろう。
無理やり胃袋に押し込むことで、自分なりの日常を、取り戻したかったのだ。
一年で一番寒い時期。お風呂で身体を温めても、心まで温まらない。
掴める藁が、見当たらない。
助けてもらえる人はなく、助けてもらう訳にもいかず。進むことも戻ることもできない袋小路に入った思考回路を、無理やりこじ開けようともがいていた。
その時の僕は。
スタミナラーメンの麺だけを少しすすり、ご飯を半分残し、餃子を二つだけ食べて、店を出た。
* * *
一月が経ち。
少しずつ少しずつ、自分というものが戻ってきた頃。
とある週末、雪が降り、底冷えがする寒い夜。一人夕飯を食べに近所の王将に入った。
いつものように、自分でグラスを取り、ポットから水をいれ、一口飲む。
いつもの従業員が、いつものように注文を取りに来る。
「スタミナラーメンセット、ご飯大盛りで」
いつものようにスマホをいじくりながら、いつものように注文の品が来るのを待つ。
お待たせしましたと言う声とともに、スタミナラーメンセットご飯大盛りがやって来る。餃子は今焼いていますと言う。まじか。
箸を取り、麺をすすり、スープをれんげですくい、ご飯をほおばる。餃子が来る。一つ食べて、またご飯をほおばる。
よく噛んで食べなさいと、ある人に言われていたことを思い出し、少し笑って、意識してゆっくり食べる。
汗ばむほどの辛さで、胃袋が発汗し、体全体の寒さが遠のいていく。
少しの満足感とともに、今度は全部、食べきることができたのだった。
追い詰められていた当時、僕はただ普通に生活できる「日常」が、欲しかった。
何も考えずに働き、何も考えずに飯を食い、何も考えずに眠りたかった。
どうすれば、日常に戻れるのか。どうすれば日常に戻ったということになるのか。どうすれば心配してくれた人々に、「僕は日常に戻ったのですよ」と分かってもらえるのか。
本当の意味では、もう以前のような「日常」に戻れることは、ないのかもしれない。
昨日と今日が違うように。今日と明日が違うように。
僕が何も考えないで毎日生きているというだけで、「日常」なんてものは、本当は存在しないのかもしれない。自分が必死に生きていない言い訳をしているだけなのかもしれない。何もかもから逃げうせて、楽に生きたいだけの「日常」なのかもしれない。
それでも、僕は――僕なのだ。
スタミナラーメンセットのご飯大盛りを食べることで、自分がその昔過ごしていた「日常」に戻れたと、少し実感することができる。
少しだけ、嬉しく思う。それも僕なのだ。
何て、安上がりな人生なのだろうか。
今度はさすがに、泣くことはなかった。