「一輪車を使うのは嫌ですー。やめて下さいー」
娘が会話に割って入って来た。
説明しよう。
一輪車とは、農業用の手押し一輪車のこと。土木工事などで活躍する、砂利などを運んだりする、あれだ。
稲刈り二日目。家族で小さい田んぼの方に植えたモチ米の稲刈りをするにあたり、量も少ないので一日目の田んぼまで稲を持って行って「はざかけ」しようという話になった。
エセ農家である我が家には軽トラックがないので、一般的な乗用車にブルーシートを敷き、刈り取った稲を運ぶ。だが運搬後の掃除が大変なため、今回僕は車の使用を拒否した。
そこで。距離も近いし、手押し一輪車を持って行って、刈り取った稲を運ぼう、という話でまとまりかけた時。
娘から「一輪車を使うのは嫌」発言が飛び出した――という次第だ。
当然、父は理由を聞く。
「・・・何で?」
「父ちゃんが使ってると、荷台に乗りたくなるから」
「一輪車の?」
「うん」
「ダメだよ。稲を沢山を運ばないといけないのに。仕事にならないから」
「知ってるー!」
「父ちゃん、一日目めちゃくちゃ頑張って、もうヘロヘロなん知ってるやろ。そやのにお前の我儘の為に、もっとヘロヘロになってまうやないか」
「分かってるー!」
「分かってるなら乗るな」
「どうしても乗りたくなるのー!」
「いやお前・・・」
「この気持ちは抑えられへんのー!」
ふりだしに戻る。
不条理だ。
お父さんの仕事を手伝う訳でもなく、黙っておとなしく終わるまで待つのでもなく、己の私利私欲を満たすため積極的に父を潰しにかかっている。
仕事の完遂と、父の健康は、天秤の片側の皿にすら乗らないものなのだ。
* * *
当日。
僕の目前には、手押し一輪車の荷台に座って、ご満悦の娘がいた。
二往復という約束で、試しに一回目の稲を運ぶ際、少なめにして娘を乗せ、片道350メートルの道を進む。
重い。
取っ手を掴む力を弱めると、娘はコロンと落ちてしまう。ついでに稲も落ちてしまう。車輪が一つしかないので、力をこめ続けなければいけないのが辛い。
間には駐在所がある。暑くなってきて意識朦朧となり、ついその前を通り過てしまう。中には駐在さんがいたのだが、少々苦笑いをして見逃してくれた。ありがとう。
「父ちゃん、カトちゃんおったー?」
顔見知りかい。
神社を二つ横切り、もう一つの田んぼに到着。それでも娘は降りようとしないので、さすがに怒る。しぶしぶ荷台から降りる娘。
手伝えと言うも断固拒否。
稲を昨日組んでおいた「はざ」にかける。娘を運ぶために稲を少なくせざるを得なかったため、速攻で終わる。
道路に出る。嬉々として娘がまた荷台に乗り込む。
こういうものは、荷物を運び終わると帰りは軽くなって楽になるはずなのだが、座敷わらしが鎮座しているので、ずっと重いままである。
仕事もはかどらず、荷物もずっと重いまま。疲れる。
不条理だ。
* * *
朝からずっと一人で稲を刈り続け、もう一人が紐で縛り続ける。娘は虫篭とアミを持って周辺をうろついていた。
バッタを見つけると、
「父ちゃーん。バッタとってー」
「自分でとれ!」
「とられへーん」
仕事中でもおかまいなく、お呼びがかかる。作業が止まる。バッタをつかまえる。籠に入れる。再開。
小さなカエルを見つける。
「父ちゃん見てー! 小さいカエルおるー」
「それはいらんやろ」
「とって―」
作業が止まる。小さいカエルを虫篭に入れる。再開。
「父ちゃん、カマキリおったー」
「それ籠に入れたら、バッタ食べられるぞ」
「嫌ー」
「ほな諦めろ」
「カマキリ欲しいー」
不条理だ。
「首根っこ捕まえろ」
「無理ー」
カマキリの捕獲を試みるも、メスである。
「お腹が大きいやろ。これはもうすぐ卵を産むから、捕まえてやるな」
「分かったー」
こういう時だけ、聞き分けがいい。
親の顔が見たい。
二回目の運搬。さすがに片道歩かせて稲を大量に運ぶ。しぶしぶついてくる娘。
途中で、疲れたー、もう無理ーの連発。鬼の形相で歩かせる。
沢山稲を運べたので、今回は作業がはかどった。
帰り道、空になった荷台に娘が、待ってましたと乗り込む。重い。行きより帰りの荷台が重いとはどういうことだ?
駐在所の前を通る。
「父ちゃん、カトちゃんおったなー!」
返事をする気力もない。
三回目の運搬にも、ついてくると我儘を言い出す。さすがに怒る。
「二回までって約束したやろ! お前がついてきたら作業はかどらん!」
泣きだす。
「泣いたら済むと思うな! いい加減にしろ! 虫取って一人で遊んどけ!」
放っておきながら、残りの稲を刈り続ける。
暑い。作業は半分ほど。今日中には終わると思うが、夕方から他の用事がある。なんとか午前中には作業を終わらせたい。
娘の泣き声が、秋空にずっとこだまし続ける。
稲を黙々と刈りながら。
ふとすぐに、反射回路が作動する。
――子供に怒鳴れるような親か。
旅行へ行くとか。遊園地へ連れて行くとか。習い事をさせるとか。美味しい食事に連れて行くとか。
日曜日。普通の子供たちが親にしてもらえるようなことをさせている訳ではない。普通の定義は知らないが、他の子よりはずっと少ないのだろう。
僕の幼少時代、今の子ほど親に遊んでもらった記憶はない。どこかへ連れて行ってもらった記憶もあまりない。だからといってその定義を子供に押し付けるほど時代錯誤もしていない。
申し訳ないと思う。
それでも娘は、笑顔で僕に纏わりついてくる。
一輪車の荷台に乗ることを、何よりも楽しいと思ってくれている。
協議の結果、残りの稲はお昼ご飯の後、車に乗せて運ぶことになった。娘も了承した。
「おい。泣きやめ」
娘が泣き顔を上げる。
「父ちゃんの一輪車の荷台に乗るの、楽しいんやな?」
泣き顔のまま、こくりと頷く。
「よし。もう一回行くぞ!」
「え、いいの?」
「その代り、少し稲も乗せるからな。その上に乗れ。さっさと乗れ!」
「分かった!」
小さい頃のことを思い出す。
少ないながらに色々な場所へ連れて行ってもらったが、どこへ行ったかという記憶はもうないし、正直どうでもいい。おぼろげに覚えていることは、父に叱られたこと。母に優しくしてもらったこと。兄と騒いだこと。
皆でいて、楽しかったこと。
父ちゃんの一輪車の荷台に乗る経験は、この娘に何を将来もたらすだろう。
楽しい記憶として植えつけられるのであれば、稲刈り作業の遅れなどささいなことだと、ようやく気付いた。
「父ちゃん。あの人たち、なんやろなー」
手押し一輪車を押しつつ、もう一つの田んぼに近づくと、一眼レフを持って、うちの田んぼを撮影している男女がいた。
勝手に田んぼに入っているが、そもそも借りてる田んぼだし、悪いことをしている訳でもないので全く問題はない。
でも無断で入ってることには違いないので、僕らを見て、委縮してしまうかもしれない。
「こんにちはー!」
大声で挨拶してみた。
「あ。こんにちは!」
「どうぞ好きに撮影して下さいねー」
「ありがとうございます」
荷台に乗っている稲で田んぼの関係者と分かっただろうが、更にその上に乗っかっている娘に何を思っただろうか。
「あ。これ娘です。写真撮ってあげて下さい」
カシャカシャ、シャッターを押す男女。
「きゃー!」
照れてジタバタ顔を隠す娘。
和やかな空気が流れる。
作業をしている最中も、ずっと僕と娘を撮影している。適当な格好なので相当恥ずかしい。
「すいません。写真に撮られるなら、もう少しまともな格好しとけば良かったです」
「いえいえ。普段のままの姿を撮らせていただく方が良いので」
普段の格好と思われたら困る。
話を聞くと、毎年ここらへんに来ては、田んぼの「はざ」を撮影して回っているという。
「日本の原風景って感じで、被写体として良いと思います。もう三年目になります」
「え? 三年っていうと、僕らがここで田んぼし始めた頃です。誰か、知り合いに聞いてきたとかじゃなかったんですか?」
「いえいえ。おそらくもうそろそろ稲刈りだろうと思って、勝手に来てみたんです。去年はもっとありましたよね」
その後、少し話をして、二人と別れた。
荷台には、娘が一人。少し疲れたのか、でろんと横たわっている。
自分が組んだ「はざ」と、みんなで刈ってかけた稲。僕の知らない所で、色々な形を通して他人に影響を与えていた。
それは少し、というか結構、嬉しい知らせだった。
「おい娘」
「何だい、父ちゃん」
「お前を荷台で連れて来ようと思わなかったら、あの人たちに出会うこともなかったよ。父ちゃんにとって、嬉しい話を聞けることもなかったよ」
「良かったな、父ちゃん。うちのおかげやな」
「そろそろ降りろ」
「嫌」
やはり、不条理だ。
* * *
写真は色々撮影してもらったものの、データを貰えないか聞いてみたら良かった。
でもまあ、フレームに写っていたものと言えば。
一輪車の荷台の上で踊るように、恥ずかしくてジタバタ顔を隠す娘と。コンビニの景品で貰った、奇抜な色の長そでTシャツに、ボロボロの作業ズボンを履いた冴えない中年男性。
・・・特にいらないか。
娘の心の中にあれば、それでいい。
写ってなければ、いつかこういうことあったよな、と笑って話してあげよう。