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歩いて帰ろう。

「はっしるまちを、みっおっろしてっ!」

保育園の運動会の入場ソングで、斉藤和義の『歩いて帰ろう』がかかっていた。

「・・・何で、斉藤和義かかってるんでしょうね?」

「さあ・・・」

斎藤さん本人が歌っているのではなく、そこは保育園なので、小さい女の子が数人で元気よくカバーして歌っている。

それは良いとしても、「この歌詞を女の子に元気よく歌われても」感がぬぐえない。小雨降る中強行開催された運動会に、とても似つかわしくない。

「いっそぐひとにあやつられっ! みっぎもひだりも、おーなーじーかおっ!」

「・・・」

JASなんとかさんが怖いのでこれ以上書かないが、気になる方はネットで調べて欲しい。

斎藤さんとしてもこの歌詞の意味は、毎日生き急いでいる人に、「それは仕方がないとしても、たまにはゆっくり生きてみようぜ」という投げかけのはずである。歌詞中の「今日は」という点は、「生き急ぐことを否定していない」言葉となり、「僕は」という点が、「他人にそれを押し付けない」言葉となる。

年端も行かない女の子に「生き急ぐな」という曲を元気よく歌わせるのもどうかと思うが、それを保育園児の運動会で入場ソングとして聞かされるのもまた乙な違和感がある。

何てったって、彼ら彼女らは、放っておいても生き急いでしまうものであり、その中から急速に経験を取捨選択して成長する生物なのだから。

おじさんはそう思うがいかがか。

* * *

もうすぐ長年通っていた保育園(正確にはこども園)を卒園し、娘は来年から小学校へ通う。

毎年この運動会に参加しては、超絶恥ずかしがり屋の娘に赤っ恥をかかされてきた。

親子ダンスに参加しては父ちゃんと手を繋ぐのを拒否。大泣きしている娘をあやすことを二年繰り返す。

年長さん最後の年は、目玉の親子リレーというものがあるらしい。保育園児チームと、その親のチームで対抗リレーを行うというもの。ハンデ付き対抗形式を取るものの、一応走る順番は一緒ということらしい。結構盛り上がるので、目玉競技になっているそうな。

それに出ろという。

「・・・父ちゃんは、お前に二年連続で泣きわめかれて、恥をかいています。なのでもう出たくないです」

「嫌ー! 父ちゃん出てー!」

「毎年そうやって出ろと言うけど、いっつも泣きわめくやないか!」

「今年は泣かないー!」

「信用できるか―!」

そうは言っても出ないという選択肢はないのが、娘を持つ父親の辛いところ(分かっていただけると思うが)。

娘は走るのが遅い。

脚力はあるが、短距離走向きではないようで、毎年かけっこは最後の方だ。父親と同じで、長距離向きなのだろう。

来月の地元のマラソン大会に備えて、減量とトレーニングを重ねている僕ではあるが、短距離を走ると死ぬほど息が切れる上に、最後の方で足が上がらなくなる。

 

運動会当日。

娘が出ていない時は現場を抜けて、近くの道路わきで走ってみた。息が切れる。やばい。どうしよう。やっぱ参加しなけりゃ良かった。

「親子リレー参加の父兄は、入場門まで集合して下さい」

場内放送が鳴る。

入場門前に行くと、園児は一列に並び、父兄がその横に並ぶ。

娘を見つけて近付くと、いつもの様に恥ずかしがった後、ぷいと横を向く。横を向くものの、泣き出したりはせずにおとなしくしているのは成長の跡か。

「おっちゃん、前に見たことあるー」

後ろの女の子が僕に声をかけてくる。

「お迎えとかで見たことあるんかな? 今日はおっちゃん、負けへんでぇー」

はははと娘の後ろの子が笑うことで、娘も少し笑顔になった。

 

親子リレーの形式は、父兄がトラックの外周を走り、園児は内周を走る。それしきのハンデで成り立つのか? と思って後ろのお父さんに聞いてみる。

「あのー、よく分からないんですけど、これって本気で走って良いんですか?」

「いや、去年のを見てると、良い塩梅に調整しながら走るみたいです。園児が速かったら負けないように、遅かったら来るまでゆっくり、みたいな」

「はあ。良い塩梅に」

「お父さんだけじゃなく、お母さんも混じってますからね。最後には速い子が揃ってるので、良い勝負になるって感じです」

なかなか難しい戦いである。ウォーミングアップして汗をかいているのはどうやら自分だけみたいで少し恥ずかしい。

僕と娘は6番目で、すぐに出番は回ってきた。

バトンを受け取る。

とりあえず半周くらいは全力で走ってみて、娘が来るのを見て調整してみようと思った。

トラックの途中まで来て振り返る。

娘が大泣きしながら走っていた。

僕は振り返り、歩を緩め、立ち止まって、苦笑いするしかなかった。

「な、何泣いてるの!」

手を差し出しても、娘は振り払う。かくして僕ら親子は、大泣きする娘に並走する形で、同時に次のランナーにバトンを渡した。

「イヤー!」

「何で泣くねんな!」

嫌がる娘を抱っこして担ぎ、「よく頑張って走ったな!」と、ねぎらいの言葉をかけつつ、内心では「泣き止んでくれー、恥かかせないでくれー」と祈っていた。保育園の先生も、「よく走ったね」と娘の頭をなでてくれた。

最終的には、大人の手加減ミスで、子供に負けるというのが、毎年の恒例のようで、今年も同じ結果となった。

それを見て、娘は大喜び。

かくして今年は、それほど大恥をかかずに済んだ。

大泣きしながら走る娘と、苦笑いしながら、同じ速度でゆっくり伴走する父親。

他にそんな親子いなかったので、とりあえず観衆への見せ場は作れたと思われる娘の最後の運動会は、こうして幕を閉じた。

* * *

「あのね」

「何?」

「何でもない」

そういう会話をされたとき、若い頃なら、相手を問いただしていただろう。相手が自分に言うことを隠している。相手に信用されていない。そう思いながら、相手が何を言いたいのかを、聞き出そうとやっきになっていた。

そうやって無理やり聞き出した「言葉」は、その人の本当の気持ちではないかもしれない。そういうことに、当時は気付けずにいた。

その人の心の内に浮かび上がった沢山の「感情」は、「言葉」に置き換えるのに時間がかかるのかもしれない。「言葉」に置き換えてみたら、矛盾していてとても使えたものではないかもしれない。矛盾しているから、その人は恣意的に「言葉」を捻じ曲げるかもしれない。

捻じ曲げた「言葉」は、自分の気持ちとズレているから、不安定かもしれない。不安定な言葉を、自分の気持ちとして用いたくは、ないのかもしれない。

急かして引き出した言葉は、そんな時、果たしてその人の本当の気持ちを言い表せているのだろうか。

「好き」と「嫌い」という言葉は、時に同居するものだ。

感情をすべて、「言葉」にできないから、人は泣いたり笑ったり、怒ったり。振り向いたり、立ち止まったりするのだろう。

今は、それでいい。

言葉がいつの日か浮かび上がり、その人が「自分の気持ちはこの言葉だ」と思えた時に、言えばいい。

もしくは日々の忙しい喧騒の中に、埋もれて消えてしまっても、別に構わない。

そう思えるようになったのは、年を取ったからだろう。

 

娘はあの時、どうして泣き出したのだろうか。

 

「とうちゃーーーん!」

一足先に家に帰っていた僕に、娘が満面の笑顔でタックルをかましてくる。

相変わらずの内弁慶。血統がそうさせるのだろうか。

「なあ。何であの時、泣いたの?」

「んー」

「父ちゃんが、先に走って行って、悔しかったの?」

「うん」

「それとも、先に行ってしまって、寂しかったの?」

「うん」

「どっちやねん」

「よう分からん」

「よう分からんか。それなら、それでええか」

彼女は、泣きたかったのだ。

走りながら、色々な感情が沸いて、泣いたのだ。

それがすべてである。

僕ができたことは。

立ち止まって。振り向いて。歩を緩めること。

ゴールした後に嫌がっているけど抱きかかえ、笑いかけ、勇気付けること。

娘が泣き止むまでに、保育園の先生が褒めてくれたり、友達が近寄ってきてくれたり、みんなで勝利したり、周囲の助力があってのこと。

彼女が泣き止んで笑ったのも、色々な感情が沸いてのこと。

つまりはまあ、そういうことなのだ。

 

疲れたり、焦ったり、とまっどたり、うまくいかないときは。

「歩いていこう」と、自分にとりあえず言い聞かせる。

歩幅が違うなら、どちらかがあわせればいい。

答えはきっと一番でゴールすることじゃないんだと、知ってさえいれば。

いつかは、笑える日が来るように、きっと世の中はできている。

不条理な子どもたちはみな踊る。

「一輪車を使うのは嫌ですー。やめて下さいー」

娘が会話に割って入って来た。

 

説明しよう。

一輪車とは、農業用の手押し一輪車のこと。土木工事などで活躍する、砂利などを運んだりする、あれだ。

稲刈り二日目。家族で小さい田んぼの方に植えたモチ米の稲刈りをするにあたり、量も少ないので一日目の田んぼまで稲を持って行って「はざかけ」しようという話になった。

エセ農家である我が家には軽トラックがないので、一般的な乗用車にブルーシートを敷き、刈り取った稲を運ぶ。だが運搬後の掃除が大変なため、今回僕は車の使用を拒否した。

そこで。距離も近いし、手押し一輪車を持って行って、刈り取った稲を運ぼう、という話でまとまりかけた時。

娘から「一輪車を使うのは嫌」発言が飛び出した――という次第だ。

当然、父は理由を聞く。

「・・・何で?」

「父ちゃんが使ってると、荷台に乗りたくなるから」

「一輪車の?」

「うん」

「ダメだよ。稲を沢山を運ばないといけないのに。仕事にならないから」

「知ってるー!」

「父ちゃん、一日目めちゃくちゃ頑張って、もうヘロヘロなん知ってるやろ。そやのにお前の我儘の為に、もっとヘロヘロになってまうやないか」

「分かってるー!」

「分かってるなら乗るな」

「どうしても乗りたくなるのー!」

「いやお前・・・」

「この気持ちは抑えられへんのー!」

ふりだしに戻る。

不条理だ。

お父さんの仕事を手伝う訳でもなく、黙っておとなしく終わるまで待つのでもなく、己の私利私欲を満たすため積極的に父を潰しにかかっている。

仕事の完遂と、父の健康は、天秤の片側の皿にすら乗らないものなのだ。

* * *

当日。

僕の目前には、手押し一輪車の荷台に座って、ご満悦の娘がいた。

二往復という約束で、試しに一回目の稲を運ぶ際、少なめにして娘を乗せ、片道350メートルの道を進む。

重い。

取っ手を掴む力を弱めると、娘はコロンと落ちてしまう。ついでに稲も落ちてしまう。車輪が一つしかないので、力をこめ続けなければいけないのが辛い。

間には駐在所がある。暑くなってきて意識朦朧となり、ついその前を通り過てしまう。中には駐在さんがいたのだが、少々苦笑いをして見逃してくれた。ありがとう。

「父ちゃん、カトちゃんおったー?」

顔見知りかい。

神社を二つ横切り、もう一つの田んぼに到着。それでも娘は降りようとしないので、さすがに怒る。しぶしぶ荷台から降りる娘。

手伝えと言うも断固拒否。

稲を昨日組んでおいた「はざ」にかける。娘を運ぶために稲を少なくせざるを得なかったため、速攻で終わる。

道路に出る。嬉々として娘がまた荷台に乗り込む。

こういうものは、荷物を運び終わると帰りは軽くなって楽になるはずなのだが、座敷わらしが鎮座しているので、ずっと重いままである。

仕事もはかどらず、荷物もずっと重いまま。疲れる。

不条理だ。

* * *

朝からずっと一人で稲を刈り続け、もう一人が紐で縛り続ける。娘は虫篭とアミを持って周辺をうろついていた。

バッタを見つけると、

「父ちゃーん。バッタとってー」

「自分でとれ!」

「とられへーん」

仕事中でもおかまいなく、お呼びがかかる。作業が止まる。バッタをつかまえる。籠に入れる。再開。

小さなカエルを見つける。

「父ちゃん見てー! 小さいカエルおるー」

「それはいらんやろ」

「とって―」

作業が止まる。小さいカエルを虫篭に入れる。再開。

「父ちゃん、カマキリおったー」

「それ籠に入れたら、バッタ食べられるぞ」

「嫌ー」

「ほな諦めろ」

「カマキリ欲しいー」

不条理だ。

「首根っこ捕まえろ」

「無理ー」

カマキリの捕獲を試みるも、メスである。

「お腹が大きいやろ。これはもうすぐ卵を産むから、捕まえてやるな」

「分かったー」

こういう時だけ、聞き分けがいい。

親の顔が見たい。

 

二回目の運搬。さすがに片道歩かせて稲を大量に運ぶ。しぶしぶついてくる娘。

途中で、疲れたー、もう無理ーの連発。鬼の形相で歩かせる。

沢山稲を運べたので、今回は作業がはかどった。

帰り道、空になった荷台に娘が、待ってましたと乗り込む。重い。行きより帰りの荷台が重いとはどういうことだ?

駐在所の前を通る。

「父ちゃん、カトちゃんおったなー!」

返事をする気力もない。

 

三回目の運搬にも、ついてくると我儘を言い出す。さすがに怒る。

「二回までって約束したやろ! お前がついてきたら作業はかどらん!」

泣きだす。

「泣いたら済むと思うな! いい加減にしろ! 虫取って一人で遊んどけ!」

放っておきながら、残りの稲を刈り続ける。

暑い。作業は半分ほど。今日中には終わると思うが、夕方から他の用事がある。なんとか午前中には作業を終わらせたい。

娘の泣き声が、秋空にずっとこだまし続ける。

稲を黙々と刈りながら。

ふとすぐに、反射回路が作動する。

――子供に怒鳴れるような親か。

旅行へ行くとか。遊園地へ連れて行くとか。習い事をさせるとか。美味しい食事に連れて行くとか。

日曜日。普通の子供たちが親にしてもらえるようなことをさせている訳ではない。普通の定義は知らないが、他の子よりはずっと少ないのだろう。

僕の幼少時代、今の子ほど親に遊んでもらった記憶はない。どこかへ連れて行ってもらった記憶もあまりない。だからといってその定義を子供に押し付けるほど時代錯誤もしていない。

申し訳ないと思う。

それでも娘は、笑顔で僕に纏わりついてくる。

一輪車の荷台に乗ることを、何よりも楽しいと思ってくれている。

協議の結果、残りの稲はお昼ご飯の後、車に乗せて運ぶことになった。娘も了承した。

「おい。泣きやめ」

娘が泣き顔を上げる。

「父ちゃんの一輪車の荷台に乗るの、楽しいんやな?」

泣き顔のまま、こくりと頷く。

「よし。もう一回行くぞ!」

「え、いいの?」

「その代り、少し稲も乗せるからな。その上に乗れ。さっさと乗れ!」

「分かった!」

小さい頃のことを思い出す。

少ないながらに色々な場所へ連れて行ってもらったが、どこへ行ったかという記憶はもうないし、正直どうでもいい。おぼろげに覚えていることは、父に叱られたこと。母に優しくしてもらったこと。兄と騒いだこと。

皆でいて、楽しかったこと。

父ちゃんの一輪車の荷台に乗る経験は、この娘に何を将来もたらすだろう。

楽しい記憶として植えつけられるのであれば、稲刈り作業の遅れなどささいなことだと、ようやく気付いた。

 

「父ちゃん。あの人たち、なんやろなー」

手押し一輪車を押しつつ、もう一つの田んぼに近づくと、一眼レフを持って、うちの田んぼを撮影している男女がいた。

勝手に田んぼに入っているが、そもそも借りてる田んぼだし、悪いことをしている訳でもないので全く問題はない。

でも無断で入ってることには違いないので、僕らを見て、委縮してしまうかもしれない。

「こんにちはー!」

大声で挨拶してみた。

「あ。こんにちは!」

「どうぞ好きに撮影して下さいねー」

「ありがとうございます」

荷台に乗っている稲で田んぼの関係者と分かっただろうが、更にその上に乗っかっている娘に何を思っただろうか。

「あ。これ娘です。写真撮ってあげて下さい」

カシャカシャ、シャッターを押す男女。

「きゃー!」

照れてジタバタ顔を隠す娘。

和やかな空気が流れる。

作業をしている最中も、ずっと僕と娘を撮影している。適当な格好なので相当恥ずかしい。

「すいません。写真に撮られるなら、もう少しまともな格好しとけば良かったです」

「いえいえ。普段のままの姿を撮らせていただく方が良いので」

普段の格好と思われたら困る。

話を聞くと、毎年ここらへんに来ては、田んぼの「はざ」を撮影して回っているという。

「日本の原風景って感じで、被写体として良いと思います。もう三年目になります」

「え? 三年っていうと、僕らがここで田んぼし始めた頃です。誰か、知り合いに聞いてきたとかじゃなかったんですか?」

「いえいえ。おそらくもうそろそろ稲刈りだろうと思って、勝手に来てみたんです。去年はもっとありましたよね」

その後、少し話をして、二人と別れた。

荷台には、娘が一人。少し疲れたのか、でろんと横たわっている。

自分が組んだ「はざ」と、みんなで刈ってかけた稲。僕の知らない所で、色々な形を通して他人に影響を与えていた。

それは少し、というか結構、嬉しい知らせだった。

「おい娘」

「何だい、父ちゃん」

「お前を荷台で連れて来ようと思わなかったら、あの人たちに出会うこともなかったよ。父ちゃんにとって、嬉しい話を聞けることもなかったよ」

「良かったな、父ちゃん。うちのおかげやな」

「そろそろ降りろ」

「嫌」

やはり、不条理だ。

* * *

写真は色々撮影してもらったものの、データを貰えないか聞いてみたら良かった。

でもまあ、フレームに写っていたものと言えば。

一輪車の荷台の上で踊るように、恥ずかしくてジタバタ顔を隠す娘と。コンビニの景品で貰った、奇抜な色の長そでTシャツに、ボロボロの作業ズボンを履いた冴えない中年男性。

・・・特にいらないか。

娘の心の中にあれば、それでいい。

写ってなければ、いつかこういうことあったよな、と笑って話してあげよう。

稲を刈り、藁で括り、人と話す。

稲刈りが終わった。

終わったと言っても、友人知人を招待して、稲を手狩りし、はざかけに干す、という稲刈りイベントが終了した、という話である。

明日は明日で、身内のみで他の田んぼの稲を刈らなければならない。

* * *

「はざ」、というものを組み上げる。

毎年、一人で組み上げる。重い。

土台となる木を三本、ロープでくくって組む。足はそれぞれ均等に120度に開く。それを二つ作成して、上に長い竹をのせる。

それだけでは竹がたわんで落ちてしまうので、間にもう一組の木で支える。二本の場合もあれば、三本の場合もある。僕の場合は、昨年二本では心もとなかったので、今年は三本で組んだ。

それでワンセット。必要分だけ組んでは、横に長くしていく。

刈り取った稲を束にして藁で括り、竹の上にかけていく。

水分を含んだ稲は結構重い。その重みで竹がたわみ、安定する仕組みだ。

 

このように刈り取った稲をどんどんかけていく。

台風が来た日は、翌朝にこの「はざ」がよく倒れていた。

昔、会社帰りの夜、倒れていた「はざ」を見かけたので、スーツ姿で駆けつけ、地に落ちたべとべとの稲を横目に、はざを再度組み上げ、稲をかけて帰ったこともあった。スーツと革靴がどろどろになった。

お日様に当て続けておおよそ一か月、稲の水分量が規定量に達すると、引き上げて脱穀する。

この作業を、「天日干し」という。

昔の米農家はほぼ行っていたこの工程も、現代の米農家はほとんど行わなくなった。効率が悪いからだ。

コンバインで刈り取りと脱穀を一度に行い、その後は乾燥機に入れて短時間で乾燥させることが普通だ。

一か月もの間稲を干すなんて、乾燥させ過ぎてひび割れがおこるかもしれない。いちいちい確認なんてしてられない。動物に食べられるかもしれないし、夜中に盗難されるかもしれない。効率が悪いこの乾燥方法は、コンバインでの収穫がすすむにつれてすたれた農業技術である。

それをやっている。

お日様に当て続ける間、稲は刈り取られた後でも光合成を行なっており、旨味成分などが少しずつ米に蓄積されるという説もある。乾燥機ではそれができないので、天日干しの米は美味しいのだと。

しかしながら、天日干ししない美味しい米を僕は食べているので、そこまでのアドバンテージでもないと個人的には知っている。

じゃあ、なぜやっているのかと言われると、僕にもよく分からない。

週末に手伝う程度の、農家でもない僕だが、田植え稲刈りの作業だけは、初体験からそろそろ9年目になる。「はざかけ」も経験し始めて9年になる。

ずっとやってきたから続けている、としか言いようがない。

最初は、農業の師匠から「適当でいいから、はざ作っといて」と無茶を言われ、知り合いと二人それなりに作って稲を乗せると、バキバキと竹が折れ、土台が崩壊した。

「ああ、そんな作り方ではあかんな」

師匠にも理不尽に怒られ(作り方教えなかったくせに!)、しかしながらトライアンドエラーを重ねて、今では一年に一回のこの作業を、身に染みついた感覚で即座に組めるようになった。

ちょっとやそっとでは倒れなくなった証拠に、今年は子供たちがロープで、「はざ」にブランコを作って遊んでいたのに倒れなかった。

「うわ、すごい。さすが農家さん、よくそんなに素早く組み上げれますね」

手伝いに来て下さるお客さんにお褒めの言葉をかけられるものの、前述のように現代の農家さんはほとんど、「はざかけ」をしない。農家だから上手に組み上げられるものでもないのだが、説明が難しいので薄ら笑いで誤魔化すしかない。

全くとは言わないが、まあまあ現代では無駄な農業技術ではある。

* * *

有機農法的な米作りの為、このような作業をしている。

効率は悪い。

でも本家米農家ではないので、イベント的な面においては、これはこれで良いのではないかと感じてもいる。

田植えも手植えなら、稲刈りも手狩り。草刈鎌を手に、ひたすら無心に刈っていく。

皆、普段の仕事を忘れて、腰を痛くしながら、無心に没頭してくれている。

 

今年は、大勢の手伝いの人が来てくれた。

家族参加が多いため、子供たちも沢山来る。それぞれのお母さんは面倒を見なくてはならないので、戦力になるのは主にお父さんだ。

黙々と稲を刈ってくれているお父さんに近付いては、世間話を振る。顔見知りでも、ご新規さんでも、一言挨拶を交わして、何気ない話をする。そうすることで、少しでも自分がどこの誰のどんな作業をしに来たのか、が分かってくれれば良い。

今年は僕がよく知る香川県出身のお父さんがおられた。話が大いに盛り上がった。商店街のミンチカツの話や、なくなったうどん屋さんの話まで。笑顔で話してくれた。奥さんも明るくていい人だった。

顔見知りの他のお父さんは、家族の近況を話してくれた。それを受けて奥さんに一言声をかける。

後ろから、子供にボールをあてられる。

笑ってこちらを見る、何度も顔を見たことのある男の子と、うちの娘。

「な。うちの父ちゃんにボール当てたら面白いやろ? おしりに当ててみ(ひそひそ)」

「コラー!」

無理やり怒って追いかける。嬉しそうに駆け回る子供たち。

空は日本晴れ。

 

しかしながら本来僕は、こんなキャラクターでは全くない。

可能な限り、見ず知らずの人と会話をしたくない。

できれば黙って、隅っこの方でひたすら作業をしていたい。

来てくれたお父さんと会話をした後、

「変なこと言わなかったかな」

「気分を害されなかったかな」

そんな思いがどうしても頭を過る。

きゃっきゃと喜ぶ子供たちと相手をしていても、本当は楽しくないんじゃないかなと思ってしまう。

コンバインを使って一人で黙々と稲を刈り、乾燥機に放り込んでしまえば、沢山の人達に毎年会わなくて良い。気も使わなくて済む。効率的に米を作れるし、それならもっと田んぼを借りて沢山作れる。除草剤や化学肥料は必要なので、今より安全性は落ちるかもしれないけれど、他の農家さんも皆やってることだ。

無農薬だから、味が美味しいって訳ではないことは、皆知ってることだしな。

 

「田植えも楽しかったですけど、今日の稲刈りも楽しかったです」

笑顔でそう言われた。

「そうなんですか?」

「はい!」

「何でもこういう単純作業の農作業って、ストレス解消になるっていう研究結果が出てるんですって」

「ただひたすら無心で作業することが、こんなに心地よいって知ったというか」

一年に一回だから言えるんでしょうけど、とまた笑う。

「田植えもそうですけど、草刈りに近いこの手刈り作業って、やっただけの成果が見えますものね。疲労はあるものの心地よい疲れで、精神的には充足感があって、ストレス解消になるのかもしれないです」

無理くり、理屈付けしたがる僕がいる。

無農薬の米作りだから、安心して子供を連れてくることができると言われた。

田植えの時は、おたまじゃくしの卵がいたるところに見える。水がきれいだからか、今や絶滅危惧種であるゲンゴロウやタガメを見ることもできる。知人である学校の先生が来てくれた時は、素晴らしいと喜び、生徒に見せますとおたまじゃくしの卵を持って帰っておられた。

一円の儲けにもならないことだけれど、お金では買えない出来事が起こる。

「あ。どうもありがとうございました」

先ほどの新規のお父さんが、帰り際に笑顔で挨拶をくれた。

感謝の言葉は、こちらがかけないといけないのにな。

こういう、来年にはもう会わないかもしれない人々との交流も、9年目に突入したということになる。

出会った方々は皆、良い人たちばかりだった。

米を作ることが目的ではあるものの、一年に二回ほど、頑張って率先して動き回り、沢山の人と触れ合って、沢山の人に話しかける。

日頃の僕が全くしない行動を強いられるこの催し。案外自分にとって悪いことでもないと、心のどこかで思っているのかもしれない。

来年の田植えには、果たしてどんな人が来るのだろうか。

「父ちゃん。さぼってへんで、さっさと稲刈りやー」

手を全く動かさず、常にいらぬ口を動かすようになった、僕の人見知り適性を受け継いでいるこの娘にも、来年あたりそろそろ手伝わせた方が良いかもしれない。

おちゃらたほい。

季節が良くなってきたので、ウォーキングを再会してみた。

奈良市郊外のこの地域は、海抜500mの山間部にあるので、気温が都市部より5度ほど低い。半袖では肌寒いものの、少し歩けば汗ばんでくるので、そのまま歩き出す。

朝起きて自分の車を見ると、霜が降りている。やがてくる厳しい冬には、この霜が凍って動かなくなる。フロントガラスの凍結は、暖機運転をひたすら続けなければ視界が開けない。

想像しただけで陰鬱になる。今の過ごしやすさのまま、月日が流れてくれればいいのに。

稲刈り前の田園風景が広がる。風が快い。

今年は豊作だという。たわわに実った稲穂のせいで、台風が来たわけでもないのに稲が倒れている田が目立つ。

最近のコンバインは性能が良いらしく、倒れた稲でも、比較的楽に刈り取れると聞くが、それでもピンと起立している稲の方が刈り取りやすかろう。粒が大きく育つせいで穂先が重くなるということは、農家にとっては良いことだが(食味に関しては諸説ある模様)、結果として倒れてしまい刈り取りに一手間かかる。

見た目も悪い。観光で来たよく知らない人が見たら、ああ今年の田んぼは良くなかったのかな、と思うかもしれない。

固定観念の色眼鏡は、常日頃から外しておいた方が良い。だが、中々意識し続けるのも難しい。

「おはようございまーす!」

「ぬおあっ」

道端で唐突に出くわす、自転車に乗ったヘルメット中学生の挨拶に、まだ慣れない。

* * *

ウォーキングを終えて家に帰ってみると、庭先で娘が一人、僕の自動車の前で、くねくね必死に踊っていた。

ぱっと見、タコ踊りに見える。おしりも振っている。ははーん。さてはとうとう頭がおかしくなったか。

そっと近づくと、真剣にぶつぶつ何かを言っている。

「おっちゃらた、おっちゃらた・・・」

「何やってんの」

「きゃー!」

突然の父ちゃんの出現に、顔を真っ赤にして車の後ろに隠れる娘。

「何や、父ちゃんか。ウォーキング終わったんか」

「ただいま。何踊ってたの。たこ踊り?」

「違うわー! 『おちゃらた』やってたの」

「・・・おちゃらた?」

「うん」

「なんやそれ。知らんぞ」

「やったろか?」

と言うと娘は、再度くねくね踊りだしたかと思うと、

せっせっせーの、よいよいよい。おっちゃらた、おっちゃらた、おっちゃらた、ほい。

と歌いだした。

「ああ。『おちゃらか』か」

一文字違うだけで、随分印象が変わるものである。

「違うー! 『おちゃらた』!」

「・・・『おちゃらか』やろ?」

「『た』ー!」

「いや、父ちゃんが小さいころやってたんは、『た』やなくて『か』で・・・」

「違うでー! 『おちゃらた』であってんでー!」

こうなると、もう一歩も引かない。

「保育園で教えてもらったの?」

「うん」

「でも、先生もお友達も、『おちゃらか』って言ってたやろ」

「言ってないー! みんな『おちゃらた』って言ってたー!」

「ほう。みんながみんな間違えて覚えているということは口碑伝承的には面白い話やが、それは単にお前の耳が悪くて『か』が『た』に聞こえてただけでは・・・」

「おーちゃーらーた!」

涙目になると更に引かない。誰に似たのか。親の顔が見てみたい。

さてどうしたものか。

親として、きちんと一般的な昔遊びの代表作を教えるのが正解なのか。それとも今は、娘の機嫌を損ねないように、それで良いとお茶を濁して立ち去るべきか。

どちらも違う気がした。

「分かった。おちゃら『た』でええ。正式には『か』やけど」

「おーちゃーらーた!」

「ただ、お前の『おちゃらた』の方が面白いから、それでええ。父ちゃんが保証したる。胸張って『おちゃらた』を歌え。今後、我が家では『おちゃらた、勝ったよ、おちゃらたほい』にする」

「うん!」

「ただな、実はもういっこ『おちゃらか』っていうのもあんねん。お友達が『おちゃらか』って歌ってても、それは間違ってないから、絶対『間違ってる』って言わないこと。分かったか?」

「分かった」

「よし」

「だから、父ちゃん一緒に『おちゃらた』やってー」

「・・・お尻も振らなあかんのか」

「振らなあかん」

「分かった」

「せーの」

おっちゃらた、おっちゃらた、おっちゃらた、ほい。

おっちゃらた、勝ったよ、おっちゃらた、ほい。

おっちゃらた、負けたよ、おっちゃらた、ほい。

おっちゃらた、あいこで、おちゃらたほい。

ほほいのほい!(やけくそ)

休日の庭先。

お尻を振りながら踊りつつ、謎の呪文を唱えては勝った負けたと騒いでる親子を、近所の方々はどのように見ておられたのであろうか。

薄れゆく意識の中、(俺らの時は『あいこで』やなくて『同点』やったなあ)とか、(でもまた指摘したら面倒くさいことになるなあ)とか、(そもそも、『おちゃらか』ってどういう意味やねん)とか、思ったりしていた。

* * *

子育てには正解はない、と良く言われる。

間違えている子供の意見を頭ごなしに否定し、正しいと言われていることを教えること。

子供がしたいことや、言いたいことを尊重し、自由奔放さを受け入れて何も言わないこと。

どちらが正解で、どちらが間違っているとは、きっと言えない。

親がそれは間違っていると正しても、子供自身が「自分の意見の方が正解だった」と感じることもある。日がたって子供が成長し、「やはり自分が間違っていた、親の意見が正しかった」と顧みることもあるだろう。

親の教育など、自分勝手な「決めつけ」に過ぎない。

田植えをして育ち、頭を垂れて倒れてしまった稲のように。倒れているからといって、出来が悪いと決めつけ、思考停止になる方が怖い。

子供に限らない。

どんな人の意見も頭ごなしに否定することなく、話を聞いて咀嚼して、一緒に「正解」を考えてあげたい。

お尻を一生懸命振りながら、そう思った。

 

大昔。一般人は、文字を読めなかった。

読めなかった人々は、口から口へと物事を伝えあった。「口碑伝承」と言う。その過程で、オリジナルの言葉は、伝わっていく内に様々な変化を遂げて、地方へと伝播していった。

昔の遊びに、地方独特の歌詞や多様性が生まれた背景は、単なる「言い間違い」だ。しかしそれが地域に根付き、長く伝えられることで、その言い間違いは「歴史」になり、その地方においては「真実」となった。

現在。インターネットとマスメディアの影響で、情報はサーバに一元管理され、地方独自の昔遊びの歌詞は消滅した。

「おちゃらた」は別に、口碑伝承の成り立ちを考えれば、あながち間違っていた訳でもないのだ。

とまで言うのは、ちょっと親バカが過ぎるのかもしれないけれど。

笑いながらお尻を振って一生懸命踊っている子供は、みんな正解にしてあげたい。

てのひら。

死の間際。

息絶え絶えに伸ばした、母の「てのひら」は、息子である僕ではなく、父に向いていた。

「あんたはもうええからどいて」

母は僕にそう叫んだ。

「お父さん。手ぇ」

気の弱い父は目を見開き、病気のせいで動かなくなってしまった母の「てのひら」を、必死に強く両手で握りしめていた。

しばらくして。苦しんで苦しんで、母は逝った。

母の果てしなく長く続いた闘病生活は、そうして終わりを告げた。

* * *

あれからもうすぐ、二十年が経とうとしている。

それからの僕は、苦しいときや悲しいとき、頭が狂いそうになった時など。

心が「もうだめだ」と叫びそうになったとき。

自分の「てのひら」を、ただひたすら見つめ続けることが、癖になった。

「この人間を切ろうか。もう少し我慢して、繋ぎとめるのか」

自問自答しては、苦しみぬいた母の死に際を思い出し、「てのひら」をひらいたり、閉じたりしては、自分自身に、こう問いかける。

――お前の「てのひら」は。

掴むためのものか。

放すためのものか。

 

何度も何度も、問いかける。

* * *

僕の母親は、「強皮症」という病気で死んだ。

正式名称を、「全身性強皮症」という。

手の皮膚が、カチコチに固くなる病気だ。そして皮膚の硬度のせいで、指が曲がらなくなる。

膠原病という分類に入る。現在では免疫疾患の病気であることが分かってきているが、当時は今ほど情報もなかった。

現在は、様々な薬が開発され、進行を遅らせることができる。QOLも当時よりは向上している。診てくれる病院も増えた。

その頃は、決して完治せず、対症療法しかなく、疾患は徐々に全身に広がり、やがて命を奪う病気だった。

家族の行く末だけは、どの医者もはっきりと教えてくれた。

沢山の病院に入院しては、手の施しようがないという医師からの回答を受け、失望し退院しては部屋に引き込こもる。

母は荒れた。家庭の雰囲気は徐々に悪化した。健常者である僕らへの、罵詈雑言が増えた。

その後、我に返った母の謝罪の言葉を「仕方ないよ」とあやし、日々を暮らしていく。

その繰り返しはとても辛く、憤りや不満をヘドロのように少しずつ溜め込み、「家族」という形式を維持することに、それぞれが疲弊しきっていた。

時に母は、極度の食事療法にも手を染めた。

修行のような食事療法の末。病気が進行しており、母の腸はほとんど食物を消化する能力をなくしてしまった。

しかし人間の脳はその生存本能から、飢餓状態を続けると一転過食状態に陥る。

頭から食べ物のことが離れない。食べたくて仕方ない。

しかし消化することができない。

度々、飢餓に飢えた脳の命令に抗うことができなくなり、自室のベッドに大量の食料を持ち込んでは、夜中に泣きながら嘔吐していた。

僕は、夜中のトイレに起きだすふりをしては母の部屋をのぞき、見つけては黙って背中をさすっていた。

「ありがとう。食べたらあかんのに、またどうしても食べたなってな。情けないお母ちゃんやんな」

言葉が無力だということを、反吐が出るほど知った。

慰めることも正解ではない。

怒ることも正解ではない。

責めることも正解ではない。

何が正解なのだろう。どうすれば、母は癒えるのだろう。

誰も悪くない。誰も間違っていない。

何もおかしくはない。

ただ、苦しんでいる人がそこで泣いているだけだ。

言葉は無力だ。何も癒せず、何も解決することができない。

若かった僕は、誰かに正解を教えて欲しいと願いながら、ただ黙ってひたすらに、自分の「てのひら」で、母の背中をさすり続けた。

さすれば母が癒されると思っていた訳ではなく、それしか、やることがなかっただけだった。

* * *

手足だけでなく、母の腸の細胞も病で硬化していたため、ほとんど動かなくなっていた。

そこに食料が入ってきたらどうなるか。

腸に便が詰まって、母は目を見開いて苦しみながら、僕と父の目の前で息絶えた。

 

定年退職後、毎日休まず見舞いに来てくれる父に向かい、母はこれまた毎日休まず罵詈雑言を吐いていた。

「見舞いに来ること以外、やることないんか」

「あんたなんかと結婚せんかったら良かった」

「私の手がこんなんになったんは、家事を全く手伝わなかったアンタのせいや」

寡黙な父は、そんな身勝手な母の罵詈雑言にも怒らず、黙って聞いて、話もせずにテレビを観て病室で一日過ごしていた。

母は父に、感謝の言葉一つかけなかった。

僕は母の気性を受け継いだ息子だったので、母に気に入られていると思っていた。母親のことを誰よりも理解していると思っていた。必要とされていると思っていた。

だが、死の間際に母が伸ばした「てのひら」の先は僕ではなく、日々罵詈雑言を浴びせ続けた、父の方だった。

母は、父にしっかり「てのひら」を握りしめられながら、死んだ。

今なら分かる。

母の死に際は、苦しかったかもしれないけれど、満たされたものだった。

病気のせいで、自分からはもう握れなくなっていた「てのひら」を、握りしめて欲しい人が傍にいて。

強く握りしめられながら、ぬくもりを感じながら死ねる人が、この世に何人いるだろう。

罵詈雑言を受けながらも父は、必死に母の「てのひら」を握っていた。

決して、離すことはなかった。

母は父に感謝の言葉を伝えなかったが、握りしめられた母の「てのひら」は、言葉以上のものを、父に伝えていた。

 

僕の両親は、お金持ちでもなく、才能に秀でたわけでもない。自分勝手で怒りっぽい母親だったし、自己主張のない冴えない父親だし、総じて平凡な両親だったけど。

僕は、この二人の子供で良かったと、その時素直に思えた。

* * *

生きていると、色々あると思うよ。実際、色々あるしな。

裏切られることもある。失望することもあるだろう。

逆で、裏切ることもあるよね。失望させることも、無論あるだろう。

他人との関係を、断ち切りたいと思うことも、当然あるよ。

人間だからな。

そういうとき僕は、「てのひら」を、何も考えないで、見つめてみる。そうすると、もう一人の自分が、語り掛けてくるんだ。

 

――お前の「てのひら」は。

何かを、掴むためのものか。

何かを、手放すためのものか。

 

頭がいかれても、吐きそうになっても、泣きながらでも。そのまま死んだっていいけれど。

「てのひら」は、大切なものを握りしめるために、あると思うんだよ。