稲を刈り、藁で括り、人と話す。

稲刈りが終わった。

終わったと言っても、友人知人を招待して、稲を手狩りし、はざかけに干す、という稲刈りイベントが終了した、という話である。

明日は明日で、身内のみで他の田んぼの稲を刈らなければならない。

* * *

「はざ」、というものを組み上げる。

毎年、一人で組み上げる。重い。

土台となる木を三本、ロープでくくって組む。足はそれぞれ均等に120度に開く。それを二つ作成して、上に長い竹をのせる。

それだけでは竹がたわんで落ちてしまうので、間にもう一組の木で支える。二本の場合もあれば、三本の場合もある。僕の場合は、昨年二本では心もとなかったので、今年は三本で組んだ。

それでワンセット。必要分だけ組んでは、横に長くしていく。

刈り取った稲を束にして藁で括り、竹の上にかけていく。

水分を含んだ稲は結構重い。その重みで竹がたわみ、安定する仕組みだ。

 

このように刈り取った稲をどんどんかけていく。

台風が来た日は、翌朝にこの「はざ」がよく倒れていた。

昔、会社帰りの夜、倒れていた「はざ」を見かけたので、スーツ姿で駆けつけ、地に落ちたべとべとの稲を横目に、はざを再度組み上げ、稲をかけて帰ったこともあった。スーツと革靴がどろどろになった。

お日様に当て続けておおよそ一か月、稲の水分量が規定量に達すると、引き上げて脱穀する。

この作業を、「天日干し」という。

昔の米農家はほぼ行っていたこの工程も、現代の米農家はほとんど行わなくなった。効率が悪いからだ。

コンバインで刈り取りと脱穀を一度に行い、その後は乾燥機に入れて短時間で乾燥させることが普通だ。

一か月もの間稲を干すなんて、乾燥させ過ぎてひび割れがおこるかもしれない。いちいちい確認なんてしてられない。動物に食べられるかもしれないし、夜中に盗難されるかもしれない。効率が悪いこの乾燥方法は、コンバインでの収穫がすすむにつれてすたれた農業技術である。

それをやっている。

お日様に当て続ける間、稲は刈り取られた後でも光合成を行なっており、旨味成分などが少しずつ米に蓄積されるという説もある。乾燥機ではそれができないので、天日干しの米は美味しいのだと。

しかしながら、天日干ししない美味しい米を僕は食べているので、そこまでのアドバンテージでもないと個人的には知っている。

じゃあ、なぜやっているのかと言われると、僕にもよく分からない。

週末に手伝う程度の、農家でもない僕だが、田植え稲刈りの作業だけは、初体験からそろそろ9年目になる。「はざかけ」も経験し始めて9年になる。

ずっとやってきたから続けている、としか言いようがない。

最初は、農業の師匠から「適当でいいから、はざ作っといて」と無茶を言われ、知り合いと二人それなりに作って稲を乗せると、バキバキと竹が折れ、土台が崩壊した。

「ああ、そんな作り方ではあかんな」

師匠にも理不尽に怒られ(作り方教えなかったくせに!)、しかしながらトライアンドエラーを重ねて、今では一年に一回のこの作業を、身に染みついた感覚で即座に組めるようになった。

ちょっとやそっとでは倒れなくなった証拠に、今年は子供たちがロープで、「はざ」にブランコを作って遊んでいたのに倒れなかった。

「うわ、すごい。さすが農家さん、よくそんなに素早く組み上げれますね」

手伝いに来て下さるお客さんにお褒めの言葉をかけられるものの、前述のように現代の農家さんはほとんど、「はざかけ」をしない。農家だから上手に組み上げられるものでもないのだが、説明が難しいので薄ら笑いで誤魔化すしかない。

全くとは言わないが、まあまあ現代では無駄な農業技術ではある。

* * *

有機農法的な米作りの為、このような作業をしている。

効率は悪い。

でも本家米農家ではないので、イベント的な面においては、これはこれで良いのではないかと感じてもいる。

田植えも手植えなら、稲刈りも手狩り。草刈鎌を手に、ひたすら無心に刈っていく。

皆、普段の仕事を忘れて、腰を痛くしながら、無心に没頭してくれている。

 

今年は、大勢の手伝いの人が来てくれた。

家族参加が多いため、子供たちも沢山来る。それぞれのお母さんは面倒を見なくてはならないので、戦力になるのは主にお父さんだ。

黙々と稲を刈ってくれているお父さんに近付いては、世間話を振る。顔見知りでも、ご新規さんでも、一言挨拶を交わして、何気ない話をする。そうすることで、少しでも自分がどこの誰のどんな作業をしに来たのか、が分かってくれれば良い。

今年は僕がよく知る香川県出身のお父さんがおられた。話が大いに盛り上がった。商店街のミンチカツの話や、なくなったうどん屋さんの話まで。笑顔で話してくれた。奥さんも明るくていい人だった。

顔見知りの他のお父さんは、家族の近況を話してくれた。それを受けて奥さんに一言声をかける。

後ろから、子供にボールをあてられる。

笑ってこちらを見る、何度も顔を見たことのある男の子と、うちの娘。

「な。うちの父ちゃんにボール当てたら面白いやろ? おしりに当ててみ(ひそひそ)」

「コラー!」

無理やり怒って追いかける。嬉しそうに駆け回る子供たち。

空は日本晴れ。

 

しかしながら本来僕は、こんなキャラクターでは全くない。

可能な限り、見ず知らずの人と会話をしたくない。

できれば黙って、隅っこの方でひたすら作業をしていたい。

来てくれたお父さんと会話をした後、

「変なこと言わなかったかな」

「気分を害されなかったかな」

そんな思いがどうしても頭を過る。

きゃっきゃと喜ぶ子供たちと相手をしていても、本当は楽しくないんじゃないかなと思ってしまう。

コンバインを使って一人で黙々と稲を刈り、乾燥機に放り込んでしまえば、沢山の人達に毎年会わなくて良い。気も使わなくて済む。効率的に米を作れるし、それならもっと田んぼを借りて沢山作れる。除草剤や化学肥料は必要なので、今より安全性は落ちるかもしれないけれど、他の農家さんも皆やってることだ。

無農薬だから、味が美味しいって訳ではないことは、皆知ってることだしな。

 

「田植えも楽しかったですけど、今日の稲刈りも楽しかったです」

笑顔でそう言われた。

「そうなんですか?」

「はい!」

「何でもこういう単純作業の農作業って、ストレス解消になるっていう研究結果が出てるんですって」

「ただひたすら無心で作業することが、こんなに心地よいって知ったというか」

一年に一回だから言えるんでしょうけど、とまた笑う。

「田植えもそうですけど、草刈りに近いこの手刈り作業って、やっただけの成果が見えますものね。疲労はあるものの心地よい疲れで、精神的には充足感があって、ストレス解消になるのかもしれないです」

無理くり、理屈付けしたがる僕がいる。

無農薬の米作りだから、安心して子供を連れてくることができると言われた。

田植えの時は、おたまじゃくしの卵がいたるところに見える。水がきれいだからか、今や絶滅危惧種であるゲンゴロウやタガメを見ることもできる。知人である学校の先生が来てくれた時は、素晴らしいと喜び、生徒に見せますとおたまじゃくしの卵を持って帰っておられた。

一円の儲けにもならないことだけれど、お金では買えない出来事が起こる。

「あ。どうもありがとうございました」

先ほどの新規のお父さんが、帰り際に笑顔で挨拶をくれた。

感謝の言葉は、こちらがかけないといけないのにな。

こういう、来年にはもう会わないかもしれない人々との交流も、9年目に突入したということになる。

出会った方々は皆、良い人たちばかりだった。

米を作ることが目的ではあるものの、一年に二回ほど、頑張って率先して動き回り、沢山の人と触れ合って、沢山の人に話しかける。

日頃の僕が全くしない行動を強いられるこの催し。案外自分にとって悪いことでもないと、心のどこかで思っているのかもしれない。

来年の田植えには、果たしてどんな人が来るのだろうか。

「父ちゃん。さぼってへんで、さっさと稲刈りやー」

手を全く動かさず、常にいらぬ口を動かすようになった、僕の人見知り適性を受け継いでいるこの娘にも、来年あたりそろそろ手伝わせた方が良いかもしれない。