子供が生まれていた。

しばらく、娘が生まれていた。

「子供が生まれたら責任感が出るよ」とか、「子供を好きになるよ」とか、「女の子が生まれたらお父さんメロメロ(死後)だよ」とか。そういったベタな展開が好きではない性格なのか、それほど変化がない自分に少々びっくりしている。

遺伝子の予定通り、器量で世を渡れる人生はこの先約束されていないかもしれない。ストレートの球速で勝負せず、バッターのタイミングを崩してから外角に逃げるスライダーで空振りが取れるような、そんな娘に育って欲しい。

自分が「父親」になることに自信を持てず、自分の優秀でもない遺伝子を受け継がせる現実に、あまり前向きになれずにいた。

子供ができたらできたで、「こんな世の中に産まれてきて、君本当に将来大丈夫?」という不安な気持ちがないわけでもない。子供からしたら、勝手に産んでおいて何を言うと、怒られそうなのだけれど。

BIGINの歌に、『未来の君へ』という曲がある。

昔、関西ローカルの深夜番組で彼らが歌ったその詩は、くすぶっていた自分の心に深く突き刺さり、情けなくて悔しくてボロボロ涙が出た。

「自分は何をやっているのだろう」

未来の君へ何かつなぐことさえ想像できなかったあの頃の自分も、未来の君がここにやってきてくれた現在の自分も、何ら変わらず同じ自分であるということが分かるようにはなった。

ただ自分にできることといえば、顔を見つめると笑ったり泣いたりしてくれるこの子のために、「自分にできることは何があるだろう」と、死ぬまで考え続けることではないか。そう考えるようになった。

歌詞の通り、弱気になったときは、「全ては、同じ方向に回るのだ」と、思い出すことにしよう。

親になって、忘れてはいけないと心に刻むのは、「子供の人生は、子供だけのもの」という事実だ。

一見、突き放した言葉に思えるが、「この子のためだから」という言ってしまいがちな言葉を隠れ蓑に、親のエゴを押し付けるようなことをしてはならない。

多分それは、とても難しい作業なのだろう。

親になる心構えは、昔から深見じゅん作『ぽっかぽか』を繰り返し読んでシミュレーションしてきた。

その中で何度も自分に言い聞かせたセリフがある。

「子供は産むんじゃない。やってきてくれるんだ」
「ぼくたちは、それを受け止めるだけなんだ」

宮部みゆきの昔の小説にも学んだ言葉がある。親に捨てられ、孤児であることを知り落ち込む主人公に、同級生の友達が投げかける一言。

「この前読んだ本に書いてあったんだ。知ってるかい? 子供はみんな、『社会の子』なんだってさ」

自分の子供は、自分たちだけの子供ではない。ひとりよがりな子育てになることのないよう、至極の言葉として受け入れていこうと思った。

この子供一人だけで、人生生きていくわけでは決してないのだ。

* * *

おお娘よ。

裕福でもなく、暇もなく、何だかパッとしない僕ら夫婦の元に来てくれて、わざわざどうもありがとう。すまない。気ぃ使ってウチにやって来てもらって、何だか悪いね。

将来どうか、「貧乏クジ引いた」とか怒らないで下さい。

優しくて、笑顔が絶えない子に育って下さい。

あなたが悲しいときは、お尻出したりへそをつついたり卑怯な手を使ってでも、父さん色々頑張って笑わせてみますから。