これまたもちろん、比喩だけど

何かを、「辛い」と感じるき。

原因はおおよそ。

「外」にはなく「内」にあることが多かったりする。

 

言うまでもなく、この場合の「外」とは、親だったり、友達だったり、生まれ育った環境だったり、社会だったり、政治家だったり。

「周りのせいにするな」と親によく怒られた時の、「周り」だ。

言うまでもなく、「内」とは自分自身・・・ではなく。「自分自身」のことを決めつけている、己の固着した「思考回路」のことだ。

そしておおよそ、自分自身が一番、そのことはよく分かっている。もしくは、分かっている「つもり」でいる。

「そんなこと言われなくても、分かってるよ」

反発してみても、自分の力だけでは、どうにもならないことが多かったりする。

* * *

「相手が悪い」と思いながら。

その根本原因が、実は自分の言動にあったり、何気なく放った一言だったり、無意識に作った表情だったりすることがある。

世の中は公平なんかじゃないから、例えば二人同じ言葉を言ったとしても、一人は冗談で済むのに、もう一人は本気に取られて、険悪になることもよくある。

世の中は、確かにまったく、不公平なのだ。

心の隅にちょっとだけ残っている、「本当は公平であって欲しい」という思いがあるとしたら、それは恐らく、世の中に対する「甘え」であり「幻想」だ。

でも、悲観的になる必要はない。それが、当たり前なのだから。

「世の中は不公平だから、自分は不幸なのだ」と決めつけているのは自分自身だ。自分が「ハンデ」と決めつけた時から、ハンデは「ハンデ」となる。

「そんなに自分の心は、強くなれない」と決めたときから、人生の障害に立ち向かう勇気はしぼむ。

強がれ無理をしろと、言いたいわけではない。

「決め付けるな」と言いたいのだ。

人間を。社会を。

そして何より、自分自身だけは、決めつけない方がいい。

* * *

人間関係を上手く構築できないとき、きっと大抵の場合、相手を「決めつけて」かかっている。

「あの人は、私のことが嫌いなのだ」

そんな話を聞く度に、

「君さ。『私のことが嫌いなあの人』という人格を、君自身が勝手に想像してさ。君が勝手に『相手が怒ってる』ことにしてさ。君のことを憎んでることにしてさ。それを決めつけて、勝手に自分でヘコんでるだけなんじゃない?

だって、相手に聞いたの?

『私のことを、怒っていますか。嫌いなのですか』って。

そんなこと聞けないって?

でも君は、相手の人が『ううん、怒ってないよ』って言ってもさ。

(いや、この人は優しいから嘘を言ってるんだ、もしくは呆れてどうでもいい返事をしてるんだ。やはり私のことが嫌いで、憎んでるんだ)

とか、勝手に思い込むんじゃない?

何だかんだで、君は自分の思いとか直感とかを採用してさ、他人の意見を信じてないんだよ。決めつけてるんだ。そんで自分で勝手に、苦しくなってるんだよ。

苦しいから、楽になりたくて、誰かに相談するのは分かるけどさ。話を聞いてもらって、感情が落ち着いて、一時的に楽になったって、根本問題は何も解決しないだろう。

決め付けない方がいいよ。

そうなりたきゃ、他人の話を沢山聞きな。沢山の本を読み、無駄でもいいからテレビを見て、色々な場所に行き、沢山の可能性を考えることができる知識を得なよ。

そしてそれでも、それだけやっても『足りないんだ』と知りなよ。

相手の考えが分かるほど、相手の気持ちが分かるほど、君は人生経験豊富に積んだって言うのかい?

とんだ思い上がりだな」

・・・とか言いたくなる(長いけど)。

言えば当然その人に、

「あんたに私の何が分かるというんだ」

と巻き添えを食うのが目に見えてるから。

いつからか、薄ら笑いをするだけにしている、自分がいる。

* * *

可能性を、閉じなくてもいいのに。

いつも、そう思う。

おでんの中にウィンナーが入っているのを、食べずに「美味しくない」と、自分から決めつける必要はない。一度食べればいい。食べて美味しく思えなくても、「次に食べたら美味しいかもしれない」程度に思っておけばいい。

「西洋のポトフの和風版だと考えれば、食べてみる価値はあるな」と思えれば儲けもの。当然比喩だ。ウィンナーなどどうでも良い。好きだけどこの際どうでもいい。

東京から大阪まで行く方法は、何があるだろう。

新幹線か飛行機か高速バスか。その三つが例えば台風でダメになったとき、僕らは悲観して「台風で東京に行けません」と、諦めるのだろうか。

「行けない」と決めつけたのは、台風で交通機関がマヒしてると伝えたニュース番組でもなく、「危ないから止めとき」と言ってくれたオカンでもない。

自分なのだ。

可能性を箱に閉じ込め、羽根をもいだのは。

にわとりが飛べないと誰が決めた。飛べないふりを一億年続けているだけかもしれないじゃないか。

そんな馬鹿な? 僕だって本気で思ってないよ。

でも、君にだって証明することはできないし、決めつける必要なんてないんだよ。

だってそっちの方が、面白いじゃないか。

とりあえず、「歩いてでも東京に向かおう」と考えてみたら、台風吹き荒ぶ中、暴走トラックが走ってて、君をヒッチハイクで拾ってくれるかもしれないじゃないか。

「行こう」と思い一歩踏み出さなけりゃ、そんな面白そうな奇跡も起こらないじゃないか。

これまたもちろん、比喩だけど。