僕は基本的に、医者を信用していない。
「基本的に」と書いたからには、心構えがそうである、ということだ。当然医者という職業の人間全てを信用していない、という意味ではない。割合の問題だ。
僕がこうなってしまったのは、幼少の頃誤診でひどい目にあったり、非人道的な言葉を投げかけられたり、身内の人間が杜撰な扱いを受けた、という経験が大きい。
昔、近所の病院で「風邪だと思うのですが」と言ったら、「それはこっちが決める。勝手に憶測するな」と怒鳴られた。
言われたのではない。怒鳴られたのだ。
その医者が今では、その近所の病院の院長になっていた。世の人々は、結構懐が深い。
僕に殺しのライセンスがあれば、地獄行き第一号だったのだが。
そんな僕にも、信用している医者がいる。
皮膚科の先生で、一年に一回ほど診察を受けるのだが、行くたびに僕の顔をちゃんと覚えていて驚く。
「先生、この前来たの一年前ですよ。こんなに毎日混んでるのに、よう覚えてはりますね・・・」
先生は某有名大学の医学部卒業なのに街の開業医で、病院はいつも満員だ。
「えー、そうやったですか? ついこないだ来はったんちゃいます?」
「ほらあの、鳥取で大きな地震あったでしょ。僕が外で順番待ってたら揺れに揺れたんですよ。そやから覚えてるんです」
「あー、あの地震。ここで体験されましたか。あきませんよ、病院で診察なんか受けてたら。逃げんと」
「先生かて、診察してはりましたやん」
「まあそうですな。多分、こんなやり取りしてるから覚えてるんちゃいます?」
横で看護婦さんが、笑いをこらえている。
ここに行く目的は、先生との会話で看護婦さんを笑わせることも「込み」になっているのかもしれない。
僕は小さい頃から、時々目の回りにブツブツができる病気に悩まされた。病名はヘルペスという。
他の人は別の部分に出来るらしい。僕の場合は目の周囲に出来るので、よく目ばちこと間違われる。
ブツブツが破けると、カサブタができる。そうなれば治癒過程なので、当人は安心しているのだが、見た目には一番ひどく見える。
だから周囲の人間は色々と騒いでくれる。でも、病気を説明してもちゃんと理解してくれる人は少ないので困る。同名の性病があるために冷やかしてくる人もいる。一体どんなプレイなんだ、と言いたくなる。
この病気を、正しく僕に説明してくれたのが、くだんの先生だった。
「ヘルペスっていう病気でね。細胞の核の部分にウィルスが住み着くんです。それが、あなたが疲れたときとか抵抗力が落ちたときに悪さしおるんですわ」
「ああ。徹夜明けで非常に疲れているときになったりしますね。そうだったんだ」
「それで、ちょっと言いにくいですけどね。これ、一生治らんのですわ。今以上に悪くなることはないんですけど」
「大丈夫です。今日は長年の疑問を解消できただけでも大進歩です。治れば嬉しいですけど、もう小学校からのつきあいなんで。腐れ縁みたいなもんです」
「そうですか」
先生は温和な顔をさらにくずした。横で看護婦さんも、ウンウンうなずいている。
「あ。最後に一つ。あのね、実は・・・」
難しい顔をした後、
「私もヘルペスなんですねー。これが。そやから、お仲間ですわ」
そう言って先生は、ニヤリと笑った。
関西人特有の、余計な一言なのかも知れない。でもその、言う必要は全然無かった先生の一言で、僕は「この先生になら、誤診されても文句は言わないだろうな」と思えた。
医者と患者のつきあいは、結局、人間と人間のつきあいに尽きるのだ。
「皮膚科でどこか良い病院はあるか」と聞かれると、先生の病院を紹介している。
僕のような人間が多いのだろう。病院は毎日、患者であふれかえっている。本当は紹介しない方が良いのかもしれないが、大切な人にはより良い医療を受けて欲しいと思う。
以前インターネットの掲示板でも紹介したら、同じ市内に住む人が返事をくれた。
「あっこの先生おもろいよなー。この前、海釣りに行った話したら食いついてきはって、病気の話そっちのけで釣りの話ばっかりしてたわ」
混雑の理由は、他にもあるようだ。
これは、最後にその病院へ行ったときの先生との会話。
「先生、ちょっと気になることがあるのですが」
「なんでしょう?」
「最近、ひざが痒くて仕方ないんです。ほら、引っ掻いて毛が抜けてしもーてるんですけど。何か病気ですかね?」
「・・・それは。非常に言いにくいのですが」
「はあ(ゴクリ)」
「ただの老化です(ニヤリ)」
「・・・うっ。せ、先生」
「はい?」
「今の話、聞かなかったことにしていいですか?」
「じゃあ私も、言わなかったことにします(ニヤリ)」
横で看護婦さんが、後ろ向きになって、必死に笑いをこらえていた。