小学生の頃。
いとこに大学生のお兄ちゃんがいた。
僕ら兄弟は、「コウ兄ちゃん」と呼んでいた。
同年代のいとこが多かった中、コウ兄ちゃんは、大人っぽくて明るくて格好良くて優しくて、仲良くしてもらえるだけで嬉しかった。数多いいとこの中でも、コウ兄ちゃんはあこがれの存在だった。
コウ兄ちゃんの家に遊びに行ったときのこと。
叔母さんは僕と兄に今日は泊まっていきなさい、コウ兄ちゃんの部屋で寝なさい、と言った。嫌な顔一つせず、コウ兄ちゃんは幼い僕らを自分の部屋に泊めてくれた。
兄ちゃんの部屋は僕らが見たことのないモノで溢れていた。とても刺激的で、コウ兄ちゃんあれ何? これ何? と質問しては、嫌な顔一つせずに詳しく説明してくれた。
布団に入って電気を消してからも、コウ兄ちゃんは寝ずに騒いでる僕ら兄弟を怒りもせず、僕らが疲れて寝てしまうまで、飽きることなく色々な話をしてくれた。
そんなコウ兄ちゃんみたいに、なりたいと思っていた。
* * *
小学生の頃。
夏休みには隔年で、熊本県は天草の田舎へ遊びに行っていた。
行き方はいつもフェリーだった。僕は小さい頃乗り物酔いがひどく、新幹線にすら乗れなかったのだけど、ただ一つ船にだけは酔わなかった。
「熊本の海に囲まれた島で育った母の血を強く引いてるからだろう」
と、田舎のばあちゃんは嬉しそうに僕に言っていた。
大阪から大分まで、フェリーは夜通し走り続ける。暗い海をつき進む船の中で一泊を過ごすのは、幼い僕ら兄弟にとって心躍る冒険だった。
ある年。
コウ兄ちゃんの一家も、一緒に田舎に帰るフェリーに乗ることになった。久しぶりに会うコウ兄ちゃんに、僕ら兄弟は照れまくっていた。
だだっ広い二等船室で、みんなが寝そべりながらくつろいでいたとき、母親が夜食でも食べようと、袋いっぱいに入ったゆで卵を取り出した。
母親から手渡されたゆで卵。しかし、卵を割る場所がない。これで割りなさい殻もここに入れなさいと、母親がプラスチックのカップを僕らに手渡した。
そのとき、コウ兄ちゃんが、ゆで卵をポンとおでこにぶつけて割った。
僕らがその様子をポカンとして見ていると、コウ兄ちゃんは、
「男は、ゆで卵をこうやって割るもんや。一回やってみ」
と言った。
少し怖かったので、目をつぶりながら僕はゆで卵をおでこにぶつけた。パリッという音がした。目を開けると、ゆで卵が割れていた。
「うまいうまい」
コウ兄ちゃんが笑った。
兄もおでこに卵をぶつけた。母も父も叔母も、みんなが笑った。
得意になった僕らは、袋いっぱいのゆで卵を、家族の分まで次々とおでこにぶつけて割った。割りすぎだと、母親に怒られた。
それ以来。僕ら兄弟は、ゆで卵をおでこで割るようになった。
大阪に帰ってからも、友達やクラスのみんなの前で、ゆで卵をおでこにぶつけて割って見せた。
男はこうやって、ゆで卵を割るんだぞ。
幼いながらに、胸を張ってゆで卵を割っていた。
大好きな親戚のお兄ちゃんが、教えてくれた割り方なんだ。
それがたまらなく、嬉しかった。
* * *
時がたち。
いつしか僕はもう、コウ兄ちゃんの年をいくらも越えてしまっている。
コウ兄ちゃんは関西を出てしまい、そうそう会う機会もなくなってしまった。いとこというのは、往々にしてそういうものだ。
年を取るにつれ、僕もいつしか、ゆで卵をテーブルや茶碗の角で、割るようになった。
それでも、ときどき。ゆで卵をおでこで割ってみる。
大人になった僕は、しっかり目を開けたまま、ゆで卵をおでこにぶつける。ぶつけた後、ふと、コウ兄ちゃん元気かなあ、などと考える。
優しくて格好良くて明るくて。そんな光兄ちゃんのようになりたいと思っていた、小さい頃の僕に少し戻る。
大好きだった親戚のお兄ちゃんに教わった、由緒正しき割り方なんだぞ、と。心の中で、少しだけ胸を張ってみる。
たかだかゆで卵を割るだけで、「自分は一人で生きて来たなんて言えないなあ」と、手軽に感傷にひたれる僕は、バカか幸せ者か、どっちなんだろ。
もし、自分に子供ができて、それが男の子だったら。
「男は、ゆで卵をおでこで割るもんだ」
そう教えようかと思っている。