学生の頃。
授業中居眠りをしていて、先生に見つかると、当然のように怒られた。
怒られないようにするために、隠れるようにして眠った。
仕事中など、どうしても眠いときは、トイレに籠もってうつらうつらしていた。
「寝る」という言葉には、なんだか後ろめたいイメージがある。いつから僕らは、そんな価値観に縛られて生きているのだろう。
昼間に寝ると怒られる。
根気がないと決めつけられる。
ナマケモノだと名札を貼られる。
知らず知らずの内にそう植え付けられたのは、案外、学生時代の経験が根っこにあるだけなのかも知れない。
* * *
イタリアでは、長い昼休みを取るらしい。ナマケモノには有名な話だ。昼食の後、みんなで仕事を休んで昼寝をする。
長い夜を乗り越えるために。
「イタリア人がうらやましい、将来はイタリアに住もう」
何度も思っていた昔の僕は、小原庄助さんを小馬鹿にする自分の生まれた国の社会を、息苦しく生きていた。
遅れる人をけなし。
理解せず。
置き去りにして。
自分だってどこに向かうのかも分かってないクセに。
追われるように、ただ焦っている。
そんな社会に、頭までどっぷりと沈ませながら。
* * *
自分を傷つけることで、他人も傷つけていた頃。
「アサガオが朝花開くには、夜の暗さが必要なんだ」という話を、本か何かで読んで、少しだけ感動した。
朝が来れば普通に花が開くから「アサガオ」なんだろうと、ただ漠然と思っていた。
「暗い夜があるからこそ、朝に花が開く」という視点。
その頃の僕には、逆立ちしても見えなかった景色だった。
でも、所詮は例え話だ。
頭に響いても、心に響きはしない。
「朝になれば、花は開くよ。だから今は苦しいけど、いつか必ず良いことはあるよ」
暗い夜を過ごし、一人震えている人間には、そんな言葉は腹の足しにもなりゃしない。
だって、そうだろう。
いつだって言葉を頭でかみ砕き、心にゆっくり下ろしてくることができるのは――。
朝が来て、暗かった夜を振り返ったときだけだ。
朝が来れば、すべては夢で片付けられる。
朝さえ来れば、
明るくて
暖かで
孤独じゃない
そんなことぐらい、幼稚園児だって知っている。
夜の寒さに震える人間は、夜の寒さを乗り越えること以外――。
他に考えることなど、できないのだから。
眠ることで、今の世界から一時的にでも消え去りたい。
でも、眠ることが出来ない。
このままずっと永久に、闇は晴れないのではないか。
そんな不安を。
耳を塞ぎ、一人怯えながらじっと抱え込むことしか、できないのだから。
* * *
自動車免許を取るために教習所に通っていた頃。
路上教習で車を運転中ヘマをして、横の教官に怒鳴られた。
「焦るなって言っただろうが!」
言われた瞬間キレた僕は、
「あのなあ、『焦るな』って言われて落ち着けるなら、最初から焦ってへんわ!」
そう言い返した。
それなのに、時々。
「焦ってはダメだよ。良い結果は出ないよ」
知った顔して他人を諭している僕がいる。
何様だとよく思う。
そんなこたぁ
本人が一番
よく
分かってる
はずだろうに
禅宗の名僧に白隠という人がいた。
師は、苦しんでいる人の悩みを救うときにまず、
「今はただ眠ることだけを、考えなさい」
と説いたという。
人の心を暗くさせるのは、決まっていつも――
寒さと
睡眠不足と
空腹だ
最近読んだ漫画の何気ない一コマに、大切な言葉の切れ端を見つける。
どれだけ沢山の言葉をなげかけられるよりも、一杯のコーヒーが命を救うこともある。
僕らは当たり前のことが出来なくて、いつも同じ事を繰り返し、いつも一人で苦しみを抱え込み、孤独という部屋に閉じこもる。
隣の人との距離が、やがて遠くなる。
* * *
寒さと空腹で、眠ることができず。
痩せ震えた体で夜を越えようとしていた頃。
真夜中に風呂を沸かして湯につかり、温まることだけで、長い夜を生きていた。
自分の力ではどうすることもできない心を。
お湯の力で、ただ温めた。
朝が来れば見える景色も、暗い夜には分からなくて。
朝が来ることだけを願いながら。
ただじっと、我慢することだけしかできなかった。
* * *
ポカポカと陽気で、おいしい昼ご飯を食べ終えた頃。
時々、僕は昼寝をしよう。
朝が来ることにおびえることもなく、いくら寝たって怒られない自由な場所で。
どうあがいたって、僕らを焦らせる、見えない何かに追い立てられるというのなら。
どう思われたって、構いはしない。
時々僕と、昼寝をしよう。
理由も分からず、立ち止まることを許さない暮らしの中で。
それでも、生きていかなきゃならない苦しみを、どうにかこうにか、乗り越えていくために。
やがて来る朝に、起きあがれるように。
途中で目が覚めたって。
きっと空はまだ明るくて、暖かい。