”HELP!”

配られた英文プリントの一番上には、

”HELP!”

と大きくタイプされていた。

「はい。この英文、次の授業までに和訳してきてください」

彼女は、持ち前の笑顔で元気よく僕らに叫ぶ。続けざまに「うげっ」と生徒サイドから、一斉にブーイングが起こった。

(これは社内教育だぞ。俺たちゃ働いてるんだぞ。残業もあるぞ。高卒だから英語は苦手というか大嫌いだぞ。この社内教育にしたって元々会社命令で、俺たちゃ元からヤル気ないぞ。いくら講師であるあんたにヤル気があったって、おそらく絶対宿題なんてやってこないぞ)

様々な思惑を含んだブーイングだった。
「音楽聴きたい人は、CD貸してあげる」
しかし彼女は、我々の無言の抗議を軽く受け流した。
「英語上達に一番効果的なのは、洋楽を聴くことよ」
人差し指を、ピンと立て。やはり、笑顔で言い切った。

Kさんは、そんな女性だったと記憶している。

* * *

”HELP!”

歌っているアーティストは、言うまでもなくビートルズだ。

洋楽をほとんど聞かない僕が、その社会的地位だけで名前を知っていた彼らの楽曲は、東洋の小さな島国の関西地方のある企業の、バカな高卒社員向け教育の宿題として利用された。

同期入社といいながら一流大学出身の、上司命令で無理矢理講師をやらされたであろう彼女、Kさんによって。

しかし。次の週に宿題を提出したのは、僕一人だった。

あくまで仕事優先。勉強は二の次。Kさんとしても、睡眠時間を削ってまで宿題しろとは、さすがに言えない。

「仕方ないよね」

Kさんは悲しそうに笑いながら、世界中の仕方なさを一人で背負い込んだような、溜め息をついた(村上春樹風に言ってみた)。

* * *

当時の僕は悩んでいた。

上司との人間関係に。業務内容の矛盾に。

僕はその頃、その悩みを自分の責任だと認めることができるほど、上手に年を重ねてはいなかった。不満を会社や上司の責任に押しつけることでしか、自分自身を確立させることができなかった。

3年後。僕は会社を去ることになった。

会社勤め最後の日。

大抵は、お世話になった社内の人々に挨拶まわりをする。行く先々で何やかやと、激励やら非難やら、色々な言葉を投げかけられた。

最後に、少し離れたビルにあるKさんの職場へ向かった。同期入社とはいえ、あの社内教育以来、Kさんとは飲み会ぐらいでしか会うこともなくなっていた。

僕の顔を見るなり、Kさんは泣いた。

「涙もろい人だなあ」と変に冷静に思いながらも、少し面食らった。
「何も、泣くこたぁないでしょ」
「いや、ね。社内教育でさ。一人だけ、宿題やってきてくれたことあったでしょ。あれ思い出しちゃって」
「そうでしたっけ」
「私の出した宿題ね。やってきてくれたことが、嬉しかったのよ」
「ふーん」
「うん。嬉しかったこと思い出した」
「そんなもんですか」
「会社辞めて、大学行くんだってね」
「受かればですけどね」
「頑張ってね」
やはりKさんは、最後には笑顔で僕を送ってくれた。

自分の何気ない行動が、自分の知らないところで色々な影響を与えている。

そのとき初めて、僕は会社を辞める自分勝手さを痛感した。言葉で責められるよりずっと重く、心に刺さった。

* * *

大学に入学して、しばらく後。

ベストセラーの『ノルウェイの森』を読み、ビートルズの同名楽曲を聞きたくなり、レンタルしたベスト盤の中に、”HELP!”が入っていた。

その曲を聞くたびに、自分ごときに泣いてくれた、あの日のKさんのことを思い出す。

”HELP!”

何かにすがりたくなったとき。あの日の記憶は、自分を少しだけ助けてくれる。

青臭い記憶は薄れても、今の自分を作り上げている一つの部品であることを、実感できる。

しんみりするには、少しアップテンポすぎる曲が流れるたび、思う。

あの日、「自分勝手に生きるのはやめよう」と思った心は、変わってしまってはいないだろうか。

泣いてくれたKさんの思いにみあうほど、今の自分は頑張れているだろうか。

Kさんは今も、元気に笑っているだろうか。